最初は自分が楽しむことを最優先する

とくにひどかったのが2010年のUTMB(世界最高峰のレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」)の前です。前年のレースで左脚アキレス腱を痛め、ただでさえ不安を抱えていたところに、「去年あの走りで3位だったんだから今年は優勝だろ」「間違いないですよ」と、当たり前のように言われて、自分を見失っていました。

『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』(鏑木 毅著・実務教育出版刊)

そんなとき、ある人から「いろいろなものを背負っているんだろうけど、まずは自分が楽しんできてください。それだけで十分です」と言われ、フッと肩の力が抜けました。憑き物が取れたようにスーッとラクになって、「誰かのために」走るのではない、「自分のために」走るんだ。自分のためなら、僕はどんなことでも我慢できる。そういうふうに頭を切り替えることができたのです。

みんなから期待されることは、意気に感じるし、モチベーションにもつながりますが、期待を全部背負ってしまうと、自分が潰れてしまう。「誰かのために」走るのではなく、最後は「自分のために」「自分自身が楽しむために」走る。そう思うと、急に身軽になって、いい状態でレース当日を迎えることができました(残念ながら、レースは天候悪化のために途中で終わってしまいましたが、それはまた別の話です)。

結果につながる「自己満足」にフォーカスする

「自分のために」走るというのは、ある意味、自己満足の世界です。そこにいかにフォーカスできるか、わがままに徹しきれるかで、プレッシャーとの付き合い方が決まります。

オリンピックや世界選手権のような大きな大会では、「日本のために」を意識しすぎると、思うような結果が出ないのではないでしょうか。むしろ、自分が楽しむことを最優先に競技に臨んだ選手のほうが、結果を出しているのではないかと思います。少なくとも僕は、「自分のために」と思ったときのほうが心がラクになり、それが結果に直結します。

レースでいい走りができれば、結果として、応援してくれた人たちも喜んでくれます。「自分のために」走ったことが、回り回って「誰かのために」なるのです。この順番を間違えてはいけません。「誰かのために」走って、もし失敗したら、「その人のせい」にしてしまうかもしれないからです。

ただし、「自分のために」走ってうまくいくのは、レースの序盤までです。苦しく長い中盤を過ぎ、終盤になると意識も朦朧としてきて、極限状態に陥ります。そんなとき、「自分のために」と思っているだけでは乗り切れません。「自分のためなら、苦しいからやめよう」という方向に、考えが引っ張られてしまうからです。