叔父が30回目の結婚記念日に叔母と離婚して、旅先で出会ったサーフィンのインストラクターと再婚することを決めた。あなたは叔父に何というべきか――。レトリック(修辞法)の専門家で、著書がハーバード大学の必読図書トップ10に選出されたジェイ・ハインリックス氏は「善悪の議論になれば、非難の応酬になる。『これからどうしていくか』という未来のことに話を向けるといい」という。どういうことか――。

※本稿はジェイ・ハインリックス『THE RHETORIC 人生の武器としての伝える技術』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。

すべての議論や会話は3つに分けられる

アリストテレスによると、議論や会話の論点はすべて、下記の3つのカテゴリーに入れることができるという。

・非難
・価値
・選択

「チーズはどこへ消えた?」はもちろん非難。「誰がやったのか」と責めているわけだ。

「妊娠中絶は合法にすべきか?」は価値。お腹の中で大きくなっていく命を終わらせるかどうかを女性に選択させるのは、道徳的に正しいのか否か(つまり、「女性の権利」と「生命の尊厳」という2つの価値の問題だ)。

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「デトロイトに工場を建てるべきか?」は、選択。建てるか建てないか、デトロイトがいいのか否か。

どの論点を扱っているのかを、なぜ考えなければならないのか? それは、間違った論点をめぐって話をしているかぎり、あなたの目的が達成されることはないからだ。ある夫婦を例にして考えてみよう。ふたりともリビングで音楽を聴きながら本を読んでいる。

妻:少し音を小さくしてくれない?
夫:最後に音量レベルを調節したのは君だったじゃないか。
妻:あら、そうだったかしら? じゃあ、今日の午後、レーナード・スキナードの『フリー・バード』を大音量で聴いていたのは、いったい誰だったかしら?
夫:そうか、僕がかける音楽が気に入らない、って言いたいんだな。

妻が得たいのは何だろう? 静寂だ。これは「選択」の問題だ。彼女は夫に、音量を下げることを選択してもらいたがっている。だが、話の論点は、「選択」から「非難」に、そして最後には「価値」へと変わってしまっている。

「非難」:最後に音量レベルを調節したのは君だったじゃないか。
「価値」:そうか、僕がかける音楽が気に入らない、って言いたいんだな。

過去に音量を上げたのは誰かということや、『フリー・バード』という曲そのものについて話しているようでは、音量に関して、前向きな選択をするのは難しい。