イラン採用から社長に上り詰めた異色の男
2017年末、東芝の社長、会長を務めた西田厚聰氏が鬼籍に入った。「東芝壊滅の戦犯」という汚名を着せられたまま、社葬も行われない幕切れであった。
「帰るべき母港を断ち切られての最後は、さぞや無念だったでしょう」と著者は語る。
名経営者と称えられた西田氏は一体いつ、どこで、何を間違えたのだろうか。本書は、本人の肉声を交え、彼の栄光と絶望の歩みを重ねながら、東芝崩壊の内幕に迫っている。
西田氏は東大大学院で西洋政治思想史を学ぶが、恋人のイラン人留学生を追って革命前のテヘランへ。その地での現地採用から社長に上り詰めるという異色の経歴を持つ。
2000年代には、原発と半導体を経営の二本柱に掲げ、米原発メーカーを買収。“豪腕経営者”として名を轟かせる。著者は、この頃に取材を通して西田氏と接点を持った。
「当時の西田さんは光り輝いていました。エネルギーが横溢し、何を聞いてもよく通る声で、理路整然と答えてくれた。彼の口から出るのは東芝の未来、原子力の未来、そして日本の産業の未来でした」
「ただただ残念でなりません」
09年、西田氏は会長に就くが、後任の佐々木則夫社長と対立。福島第一原発の事故は、原発事業に舵を切った西田氏の立場を厳しくし、不正会計問題の発覚がとどめとなった。
取材は死の約2カ月前。著者は誰もが追求したい問いを重ねた。しかし、死線を彷徨う彼が最後に口にしたのは、自己弁明と積年の恨みだった。
「本当に生々しく人を罵倒するわけです。人間があんな心持ちで恨みを剥き出しにしながら、人生の終焉を迎えるとすれば、それは不幸です」
本書を一読した東芝社員から著者に届いた一通の手紙に、「ただただ残念でなりません」と綴られていたという。
(撮影=的野弘路)