異色の「社長対談」が実現した。ともに愛知県名古屋市に本社を置くプリンター大手のブラザー工業と、喫茶店舗数で国内3位のコメダ珈琲店(コメダ)だ。事業内容も売り上げ規模もまったく違うが、共通項もある。その1つは両者の社長とも米国での駐在経験があることだ。「海外経験」はキャリアを積み上げるうえでどれだけ重要なのか――。(後編、全2回)
ブラザー工業の小池利和社長(左)とコメダ珈琲店の臼井興胤社長(右)

「年功序列」打破のために海外駐在へ

――2人の共通点は、新卒で入社した会社で「海外駐在経験」があることです。その後の歩みは好対照で、小池さんは同じ会社でキャリアを積み上げ、臼井さんはさまざまな会社でキャリアを積み上げました。まず、海外駐在を希望した理由は何ですか。

【小池】私は昔から「大口を叩き、言いたいことを言う」性格でした。好奇心旺盛で何でも自分で見てみよう、やってみようと考える。米国に行ったのも、ブラザーが海外でプリンターを販売することになって「それならオレが売ってみせる」と駐在員に立候補したのがきっかけです。ただ、学生時代から英語が大の苦手。赴任前も赴任後も英会話学校に通いましたが、最初は営業に行っても「英語がもっと上達してから出直してこい」と言われる始末でした(苦笑)。それでも何とか習得して現地で仕事をしてきました。赴任当初は23年半も住むとは思いませんでしたが。

【臼井】新卒で三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)を選んだ理由は、「社費で海外のビジネススクールに留学させてくれる」と聞いたからです。入行すると、試験に合格しなければ留学できないことを知りました。それでも行くことができ、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学後、そのまま米国駐在となり、5年ほど生活しました。

米国の金融界は、シティバンク(現シティグループ)経営者のジョン・リードが40代で辣腕を振るって業績を立て直し、シティを輝かせていた時代です。帰国してからは東京の本社勤務で、頭取直轄の企画部にいましたが、日本の銀行は学閥など内向きな視点も目立った。当初は三和銀行で出世する意識がありましたが、「グローバルでは勝ち目がない」と思い始めたのです。

【小池】ジョン・リードは、あの時代の米国金融界の象徴でしたね。私は、入社当時から「この会社はオレが何とかしないとダメになる。ここなら社長になれるかもしれない」と思っていました。当時のブラザーは第二次オイルショック直後の不況で採用を手控えた時期で、少し上の世代も少なかった。でも最初に配属された職場で、日々の仕事をこなすうちに焦り始めました。このままでは年功序列で20代や30代が平社員のまま終わってしまう、と。そこで2年後に訪れたチャンスを生かし、年功序列を飛び越えるために米国駐在員に立候補して現地に渡ったのです。当初の赴任地はロサンゼルスだったので接点がありますね。

【臼井】そうですね、米国の中でも日本人駐在員が多い地域でした。