哲学は次元の高いものであるべきか

私は、人生というのはたった一回しかないのだから、もっと生真面目に、もっと一生懸命生きていこう、と言ったのですが、彼は、たった一回しかない人生、もっと楽しくいくべきだと言う。

そのときに、塚本さんは「おいこらお前、よけいなことを言うな。だいたいお前と稲盛くんでは比べようがないではないか。お前がそんな考え方だから、お前の会社は今の規模にとどまっているのだ。比較にもならない会社の社長が、稲盛くんに向かって、それは違うと言うのはおかしいではないか」と本気で怒られたのです。

その言葉に「なるほどな。人生どうありたいか、どういう会社経営をしたいか、それに応じた考え方が必要なのだ」と、私も気づかされました。

人生という山に登るとき、その社長が言ったように、たった一回しかない人生、ええかげんでも楽しく生きたいと思うなら、ハイキング気分で行ってもいいだろう。しかし、富士山に登りたいと思うなら、それなりの準備が要るし、体力も要る。ましてや、冬のヒマラヤに登ろうと思えば、それに勝る完璧な装備が必要になります。

どの山に登りたいのか、つまり、どういう人生を送りたいのか、どういう会社経営をしたいのか、それに応じた考え方、フィロソフィが必要なのです。

ですから「稲盛さんはこんな考え方が大事ですよと言うが、それは、京セラという会社をつくるのに必要な考え方であって、自分はそれほどの会社にしようとは思ってはいないから、もっと程度の低い考えでもいいだろう」と思うのは結構です。

哲学はなるべく次元の高いものであるべきだとは思いますが、それは立派な人生を送りたいと思うからこそ必要なのであって、もっとええかげんな人生で終わってもいいと思うなら、あまり次元が高くなくてもいい。

自分が過ごそうと思う人生に応じた考え方を持つことが大切なのです。