京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します――(全3回)。

※以下は稲盛和夫『活きる力』(プレジデント社)からの抜粋です。

1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦

私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。

稲盛和夫・京セラ名誉会長

現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などについては2001年7月時点のもの)。

これが、27歳で会社をはじめて42年間(当時)、「人間として何が正しいのか」ということだけを座標軸にして人生を歩いてきた結果です。

よく、国内外の評論家の方々や経済学者の方々から「どうして京セラはここまで発展したのですか」と聞かれます。また、「稲盛さんは優秀な技術屋で、しかもちょうどセラミックスというものが流行するような時代にたまたま遭遇されたから、大成功を収められたのですね」とも言われますが、そのとき私は「そうではありません。時流に乗ったわけでもなければ、私の技術が優秀だったからでもないのです。一番大事なのは、私が持っていた考え方、哲学が正しかったからだと思います。そして、それを私だけではなく、従業員が共有してきたからです」と言っています。

立派な哲学さえ持っていれば、誰がやっても成功する、そのように私は考えています。

通信事業が自由化される以前、日本の通話料金は非常に高く、庶民はたいへん困っていました。私は、かなり昔からアメリカで仕事をしていましたので、アメリカの通話料金は日本と違って非常に安いということを知っていました。

カリフォルニアからニューヨークへ電話をかけて長話をしても、電話代が非常に安い。一方、日本では出張中などに、東京から京都の本社に公衆電話を使って電話をしようというとき、100円、200円を10円玉に替えて、次から次へととにかく大量に入れる、というくらい通話料が高かったのです。

私はそれをずっと不満に思っていました。電気通信事業が一社の独占で行われており、国民が苦労しているのを見て、これはけしからんということで、第二電電をつくることにしたのです。

自分自身でも無謀だと思いましたし、周囲からも「稲盛さんはセラミックスの分野では優秀な技術屋かもしれないが、電気通信の技術については何も知らないじゃないか。できるわけがない」と言われたものです。