企業の本質的機能は「富の創出」にある

そうした日本全体の低迷のすべての原因がその法人税率の高さにある、というつもりはない。しかし、法人税率が高いことによって経済が国際的な成長の波から取り残されるという論理はすぐに私でも思いつくし、法人税率も消費税率も変えられずに税体系全体をいじれないという政府の動きの鈍さがじつはさまざまな税以外の分野での政策無策の象徴であり、その政策無策ゆえに経済が低迷を続ける、という論理もすぐに想像がつく。

なぜ、法人税率が高いと経済成長が低迷するのか。

それは、企業が(つまり法人が)経済成長のエンジンだからである。そのエンジンに他国の企業と比べて大きな負担を強いれば、当然エンジンの回転は低くなるのである。

企業という存在が社会の中で果たしている本質的な役割は、市場からさまざまなインプット(原材料や機械など)を買ってきて、それに技術的変換を加え、より価値の高いアウトプット(製品やサービス)に変えて顧客に届ける、という役割である。アウトプットの価値とインプットの価値の差が、付加価値として企業が生み出す富である。GDPという経済規模の指標はじつはこの付加価値の国全体での量を測ったものである。

つまり、企業の本質的機能は、技術的変換による富の創出にある。そしてその富を、富の創出に貢献した働く人々(知恵と汗を提供)と株主(資本を提供)に賃金と配当という形で分配するのが、株式会社という法人組織のなりたちである。

この企業による富の創出規模が大きくなるためには、企業による技術的変換の有効性が高まらなくてはならない。市場で望まれるような技術的変換を行える能力、その変換をより少ないインプットで実行できる能力、という意味での有効性を高めれば、より大きな付加価値を企業は創出できる。

付加価値獲得能力は、すべて企業内部に蓄積された技術的能力や設備の能力によるものである。たんに安く買って高いときに転売すれば金が儲かる、という種類の富の創出ではなく、企業内部に蓄積された技術変換能力を高めることによる富の創出の拡大が、企業の社会的な役割であり、存在意義なのである。

その技術的変換能力拡大のために、企業は技術開発投資を行い、従業員の訓練を行い、設備投資を行う。そのためには、財源がいる。企業の内部留保がその財源になるのだが、法人税率が高いということは、その財源規模が小さくなることになる。そのために企業の付加価値獲得能力、しかも国際的競争の中での付加価値獲得能力の低迷に法人税率が高いことが影響してしまうのである。

そうした国際的な付加価値獲得競争が真にグローバル規模になってきたのが、91年のソ連邦の崩壊以降に起きた、旧共産圏諸国の世界市場への参入という歴史的動きの意味であった。だからこそ、世界各国の政府は、法人税率を下げて自国の企業の付加価値獲得能力の向上への財源的配慮をしてきたのであろう。その国際的政府間競争のらち外に日本が自らを置いてきたとすれば、それが日本経済の国際的低迷の一つの大きな原因になってしまったのは、当然ともいえる。

もちろん法人税という名の企業から政府への財源の移転が、経済活動のエンジンの回転を低下させないという論理をつくれる場合もある。政府が高い法人税で手に入れた財源を、企業以上に国全体の富を大きくするように有効に使えるという場合である。しかし、政府が行う政策が単純な富の再配分を超えて富そのものを大きくするように機能することはそれほど多くないだろうし、かりにそうした富拡大の機能を持ちえる場合にも、それを「有効に」政府組織が行えるという保証はどこにもない。むしろ、何にせよ政府組織に任せると非効率が忍び込むことが多い、というのが人々の常識であろう。

富の創出のエンジンとしての企業の社会的機能を、われわれはもっと重視する必要がある。