男性65歳から69歳の就業者率は49.0%、70歳から74歳が32.4%。1950年生まれの日本人男性の7割が55歳までにリタイア、または早すぎる死を迎えていたことを考えると、この半世紀の日本人の人生はより長く、より有意義になっています。だからこそ、わが国の高齢者は親の世代(1920年代生まれ)に比べて幸福度が高いのです。わが国の高齢者は、いずれやってくる病気や将来の貯蓄に不安を抱えながらも、おおむね満足に暮らしています。

経産省の若手、大丈夫か?

ちなみに、ペーパーの図表では「40歳前半有業者の一日」と「60代前半無業者の一日」の比較図という、ある種の悪意すら感じさせる素敵なページが組まれています。高齢者で無業なら、日中ゴロゴロしていても不思議はないだろうと思うのですが、働き盛りの40代と無職の60代の一日を比べて何を言いたいのかよく理解できません。

さらにペーパーの後半では、高齢者向け医療が、いかに高額で、どれだけ日本経済の負担になっているか、という論証に多くのページが割かれています。冒頭で語られていた「昭和の標準モデル」と「現在の高齢者向け負担の拡大」や「母子世帯の貧困率の高さ」は本来ほぼ無関係なのですが(せいぜい平均寿命が延びたことぐらい)、ここでなぜか一人当たりの実質GDPと生活満足度を同じ折れ線グラフで比較する、という謎な図が再び出てきます。

意味が分かりません。経済産業省の若手、大丈夫なんでしょうか。

伸び率の比較にはまったく不適切

いうまでもなく、GDPや所得など絶対数に関わる指標は、比較のために一定の年を基準として伸び率を比較することはあり得るわけですが、生活満足度というのは100%が最大の指標であり、ある年を基準として伸び率を比較するのにはまったく不適切な指標です。

何を言いたいのかは理解できます。おそらく「GDPが伸びて私たちは豊かにはなったけれど、果たしてそれは幸せなのだろうか」と言いたいのでしょう。この図表を見て作成者の意図は読み解れますが、使われている根拠を見て深い幻滅感を覚えます。

なお、生活満足度調査については、ぶっちゃけ昔から横ばいで、グラフのどこをどう読んでも「日本人は敗戦後からこんにちまで50年以上、社会に大きな不満もなくおおむね満足している」ということになります。

※国民生活に関する世論調査 現在の生活に対する満足度(時系列)
http://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-life/zh/z04.html
※国民生活に関する世論調査 現在の生活の各面での満足度(時系列)
http://survey.gov-online.go.jp/h28/h28-life/zh/z03san.html

そこへもってきて、「一人当たりGDPが幸福度に与える影響は世界的に低下している可能性」というスライドが出てきているものですから、暗澹たる気分になります。おおむね幸福で長らく横ばいだった指標を、中国、インド、東南アジア圏など急速に経済成長している地域に牽引された世界経済のGDPの伸びで割って、「ほら、GDPあたりの満足度は減少しているでしょう」と解説されても困惑する以外ありません。

こうした雑な議論を経て、最後にはこう総括しています。

一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ

いや、もう高齢者は働ける限り働いてますから……。いまの社会保障の議論、見ていないんじゃないですかね。ここで3つめの「社会保障などの将来予測のおかしさ」という誤解の話になります。もちろん「時代遅れの制度を抜本的に変えよう」という提案は賛成なのです。子どもの出生や教育にお金を使っていくのも素晴らしい提案なのですが、根本的に変えていくにあたって、政策の財源はどうするのか、本当にそれに見合う価値が社会的に生み出せるのかといった議論はどうするのか、という話はどこかでしていかなければなりません。

高齢者向け予算のカットが意味すること

「高齢者を年齢で定義するな」というのもその通りなのですが、その高齢者の支援を切ったとして、そこで苦労するのは高齢者の家族であり、勤労世帯です。年老いた親が家で動けなかったり、ボケて大変だったりしたとして、「そんなものは俺は知らん」と言える家族はいるでしょうか。親の介護のために仕事を辞めざるをえない、という人もたくさんいる世の中で、高齢者向けの予算をカットすれば、そういう高齢者を支える家族を貧困の連鎖に突き落とすことになりかねません。

資料の前段で、母子家庭の貧困について語っておきながら、高齢者問題で勤労世帯が貧困に陥ることに目をつむるという論調からは、「日本の衰退によって減りゆく社会的富をどう配分すべきか」という難問を惹起させられます。母子家庭や出生率の向上、教育投資は、いずれも日本の将来を支える若者に活力を与えるから進めるべき。一方で、高齢者はもう富を生まないのだから古い昭和の遺物として削除する――。なぜそういう考えになるのだろうか、と思うわけです。