無添加化粧品を生んだ妻の“顔にブツブツ”

【弘兼】借金返済後、化粧品のビジネスをはじめます。クリーニングや風呂の掃除をしながら、新しいビジネスをずっと考えていたのですか?

【池森】ちょうど、借金を返し終えてホッとした頃、久々に女房の顔を見ると、顔にブツブツができていた。「おまえ、その顔どうしたんだ」と尋ねると、「化粧品が合わなくて」と言うのです。

【弘兼】疑問に思ったのですね。

【池森】そのとき、たまたま皮膚科の先生と化粧品の製造技術者が知り合いにいました。皮膚科の先生に聞くと、「化粧品で皮膚障害、皮膚トラブルを起こしている人がすごく多い」と言うのです。当時は「化粧品公害」と呼ばれていました。

【弘兼】その原因は……。

【池森】化粧水は非常に傷みやすいものなので、防腐剤や酸化防止剤、殺菌剤など様々な添加物が入っています。それらに対するアレルギーです。

【弘兼】本末転倒ですね。

【池森】ええ。私も「これはおかしい」と思った。しかし、化粧品業界の人たちはそう思っていなかった。必要悪だと言うのです。化粧品の製造技術者によると、開封から1カ月程度で化粧水は濁ってきて、酸の臭いがしてくる。乳液やクリームは皿に出しておくと真っ黒いカビが生える。

【弘兼】それを防止するために添加物は不可欠だと。

【池森】私は化粧品業界のことをよく知らない門外漢ですから「1カ月以内で使い切れる分量を小さな容器に入れて、売ればいいのではないか」と思いました。そうすれば肌に有害な保存料を使わなくて済む。化粧品の製造技術者に提案してみました。

【弘兼】すると、どうでしたか。

【池森】「そんなもの、女の人が買うはずがないじゃないか」と一笑されました。「化粧品は女の人に夢を売っているんだ、デザインや派手な広告には心理的な効果があるんだ」と。

【弘兼】当時、化粧品メーカーは派手に広告を打っていましたね。

(上)ファンケル創業のシンボルともいえる5mlの無添加化粧品。医薬品のような飾り気のない容器(バイアル瓶)を使用。(中)社員研修施設「ファンケル大学」の様子。(下)ファンケル総合研究所内の敷地内に2016年5月に完成した「第二研究所」の研究風景。

【池森】そこで私は5ミリリットルずつ密閉した無添加化粧品のサンプルをつくってもらい、家内に使ってもらった。すると、アレルギー反応は起きなかった。後からわかったのですが、家内は化粧品によく使われている「パラベン」という防腐剤にアレルギー反応があった。家内の友人にも同じような症状があり、その人も使ってくれた。私がクリーニングの外交をやっていたときに、顔にブツブツができていた奥さんがいて、そういった方に話してみると、みなさん、「欲しい」と言い出した。

【弘兼】「いける」と判断したのですね。皮膚に有害なものを入れず、適正な“賞味期限”を設定して、小分けにして売る。アイデアの勝利です。

【池森】「肌の皮脂に一番近いもの、アミノ酸を中心につくってほしい」というリクエストを基に、化粧品の製造技術者が商品をつくってくれました。添加物を入れないので、その分のコストが浮き、いい材料を使えたのもよかったのでしょう。

【弘兼】運営資金はどうされました?

【池森】手元にあった21万円ではじめました。

【弘兼】21万円! 当然、広告費も使えない。頼りは口コミですね。

【池森】チラシを1枚5円で印刷してもらい、1000枚ぐらいばらまくと注文が入る。商品は自分が配達し、回収したお金を、また商品、チラシの製作費にしました。売り上げが増えていくと、商品、チラシの枚数も増えていった。チラシは一軒一軒、自分で回って配りました。電話の受付も自分でやっていました。そのうち、手が回らなくなってパートの人を雇うようになりましたが。

【弘兼】ファンケルの設立は81年。無添加化粧品事業をはじめてから1年後のことでした。その後、順調に成長していきました。そして、94年に栄養補助食品、サプリメントの販売に乗り出します。きっかけは?

【池森】私が口内炎になったとき、ある人からローヤルゼリーを勧められました。飲むと口内炎は治りましたが、えらく高価だった。生のローヤルゼリーは100ccで1万~2万円する。2万円のものなど、桐の箱に入ってリボンが掛かっている。

【弘兼】中身よりも包装にお金が掛かっている。