昭和時代から大手スーパーに積極出店

愛知県民にとって、スガキヤは子供の頃の思い出だ。いや同県民に限らない。先日、筆者は別の打ち合わせでメーカー勤務の女性(三重県津市出身)に会ったが、スガキヤの話をすると強く反応し、「昔、近くにあったのでよく食べました!」とうれしそうに語った。別の打ち合わせでは男性編集者(福井県福井市出身)が同じような反応だった。こうした反応を示す人が多いのには理由がある。中部地方限定だが、まだ「フードコート」なんて言葉もない昭和時代から、スガキヤはスーパー店内に積極的に進出していたのだ。

「初出店は1969年5月に開店した『ユニー大曽根店』(名古屋市東区。のちピアゴ大曽根店。2010年に閉店)で、好評を得て以来、各地のスーパーに出店させていただきました。買い物に来たお母さんが子供連れで来店してくださり、お子さんが成長すると友人と一緒に来たり、結婚して子供ができると祖父母・親・子の三世代で来られる方も多いです」(菅木氏)

[左]「スガキヤ 大須店(名古屋市中区)」[右]運営会社スガキコシステムズの菅木寿一取締役(撮影=上野英和)

筆者が大学入学前まで暮らした実家近く(徒歩5分)のスーパーにも、スガキヤは入っていた。いまは取材先企業に近い名古屋市内の店を時々利用するが、学校帰りの中学生や高校生も目立つ。前述した価格のため、「子供が成長して、最初に自分のお小遣いで外食する店」なのだ。こうした庶民性が同社の成長を支えてきたが、一方で現在「踊り場」を迎えている。

「最近はハイセンスな商業施設が増えてきました。そうした施設と、当社が『レギュラー』と呼ぶ従来型の店とはミスマッチになりかねない。ディベロッパー(商業施設)側からは『別の業態を開発してほしい』と言われることもあります」(菅木氏)

そのためアルコールも置いた「寿(す)がきや」といった別業態も開発したが店舗数は少ない。

現在はディベロッパー側も、施設の来店客層に合った店を選別する。それは業態から受ける一般的なイメージより、さらに細分化して検討するのだ。ある人気カフェは高品質の洋菓子も看板メニューだが、「アウトレットモールの中でも、客単価が高いブランド店が集まるエリアに出店してほしい」と要請を受けたという。