トヨタ、パナソニック、ファナック、シスコシステムズ、DeNA……これらの企業と続々と提携し、また京都大学iPS研究所と共同研究を行っているベンチャー企業が「プリファード・ネットワークス」である。起業メンバーは、東大・京大のプログラマー集団6人。企業向けの全文検索エンジンからスタートし、現在はIoTや人工知能の分野に特化している、高い技術力を誇る頭脳集団だ。

プリファード・ネットワークス社長の西川徹氏は1982年生まれの34歳。筑波大学附属駒場高校から東京大学理学部の情報科学科に進み、プログラミングの世界大会に5年間挑み続けた。元・パソコン少年の西川社長は「自分たちの力でGoogleの次の時代を作りたい」と意気込みを語る。田原総一朗氏と西川徹氏の対談、完全版を掲載します。

中学高校時代はパソコン漬けの日々

【田原】西川さんは小学生のころからプログラミングをしていたそうですね。きっかけは何だったのですか。

【西川】小学4年生のころ、父が図書館で借りてきたFM-7のBASICの解説書が置いてあったんです。それを見てゲームをつくり始めたのが最初です。

【田原】小学4年で、プログラミングの本なんて読めるんですか。

【西川】小学生向けの本だったので。もともとゲームをやるのが好きで、プログラミングを覚えたらやりたいゲームを自分でつくれるということが魅力でした。

【田原】中学、高校もパーソナルコンピューター研究部に入った。

【西川】中学や高校には大学からのおさがりで、FM TOWNSなど富士通の教育用のパソコンがたくさん転がっていました。それを使ってゲームやコンピュータグラフィックをつくるプログラムを書いていました。印象に残っているのは、文化祭での展示です。ある年は「人工生命」というテーマで、虫の挙動をシミュレーションして再現するプログラムをつくってお客さんに見せたりしていました。中高はそういった活動ばかりで、ほかのことはほとんどしてなかったです。

東大理学部の同期は4人、Googleへ就職した

【田原】西川さんは東大のご出身ですね。パソコンばかりいじっていて、どうして東大に入れるんですか?

【西川】うちの高校(筑波大学附属駒場)は11月の文化祭で燃え尽きて、それから受験勉強する人が多くて。僕もそうでしたが、それで受かったのは運がよかったなと。

【田原】理学部の情報科学科に進学される。コンピュータというと工学部じゃないの?

【西川】工学部にもありますが、中学生のころに情報科学科の先生が書いた本を読んで、純粋なコンピュータサイエンスのほうをやりたいと思いまして。たとえばプログラミング言語を翻訳するときの背後にある理論とか、CPUの高速化や省電力化の理論を扱っていました。

【田原】理論をやる人は、みなさんどういうところに就職するんですか。

【西川】大手のメーカーに就職する人が多いんじゃないですかね。私の代では4人、Googleに行きましたが。