「要するに、ガズーとは豊田にとっての『トヨタへの挑戦』だったと思うんです」と友山は振り返る。

「ガズーはこの20年、常に社内で摩擦を起こす言葉でした。ただ、トヨタ生産方式とは、すべてのものには問題があり、問題は顕在化させて解決すべきという考え方。いまとなっては摩擦を起こすことがガズーの目的だったのだと思います」

2016年、ニュルブルクリンクでレクサスRCを駆った豊田が強い感慨を抱いたのは、このような20年間の歴史が一つの節目を迎えたことを実感したからだ。

2007年、初めてニュルブルクリンクを走ったとき、彼はヘルメットを被ると息ができないほどの緊張を覚えた。できることなら、このまま走って逃げたい。そう思った。夜間、バックミラーには洪水のように後続車のヘッドライトが迫り、コース上にいるだけでも恐怖を抱いた。

「ここはごまかしが利かない場所。決して嘘をつけない場所。ちょっとクルマが好きだから、運転が上手いからというだけでは、ニュルの神様にとーんとやられていたと思う。クルマの基本性能も他の道ではごまかせても、ここではダメでしょ。だからここで鍛える。鍛えるとクルマが壊れる。壊れるから人も鍛えられる」

豊田は語る。

「僕は自分が社長として適格なのか、とずっと不安を抱いてきた。その意味でこのごまかしの利かない場所で走ることは、僕にとって常に自分を確かめる場所であり続けてきたんだと思う。そういう意味ではね、いまはもう平常心のままコースに入れるようになった。昨日だって1周目はクルマと語り合って、2周目は気持ちよく走らせてもらえたんだから」

▼豊田章男と「GAZOO」の歩み

<1956>誕生
<1984>トヨタ自動車入社
<1998>GAZOO.com 立ち上げ(写真1)
<2000>取締役
<2005>副社長
<2007>ニュルブルクリンク24時間耐久レースに初参戦(写真2)
<2009>社長就任
<2010>リコール問題をめぐり米議会の公聴会で証言(写真3)
<2016>ニュル参戦10周年(写真4)

時事通信フォト=(写真3)
【著者略歴】稲泉 連(いないずみ・れん)
1979年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。本稿で触れた豊田社長と成瀬弘氏の挑戦の物語は、著書『豊田章男が愛したテストドライバー』に詳しく描かれている。
(プレジデント編集部=撮影 トヨタ自動車=写真提供 時事通信フォト=写真)
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