箱根駅伝初優勝監督代行と瀬古利彦の襷を受け継いだ作家が「小が大に勝つ術」を語り合った。

東洋大学陸上競技部監督代行●佐藤 尚


1953年、秋田県生まれ。秋田工高時代は中距離の選手で、東洋大学時代は陸上部マネジャー。94年から7年半東洋大監督を務める。2004年よりコーチとして指導。08年の部員不祥事で監督代行。09年チームを初優勝に導く。


作家・早稲田大学競争部OB●黒木 亮


1957年、北海道生まれ。早稲田大学競走部時代、箱根駅伝に2回出場。都市銀行、総合商社に23年勤務し作家に。『エネルギー』『巨大投資銀行』『青い蜃気楼 小説エンロン』『カラ売り屋』など著書多数。英国在住。

不祥事を乗り越えて

【黒木】佐藤さんはサラリーマン経験がおありだそうですね。具体的にどんな仕事を?

【佐藤】大学を卒業したあと秋田に戻りまして。田舎の総合商社で建設資材関係の営業を15年ほどやっておりました。

【黒木】サラリーマン時代の経験で監督業に役立っていることはありますか?

【佐藤】ゼネコンの現場監督や土建屋の親父さんたちとの付き合いもあったし、部下20人ほどの営業所長も1回やりました。おかげで、人の気持ちを自分なりにつかめるといいますか、選手を使ううえでも何かプラスになっているような感じがしますね。陸上よりもそっちのほうが長いですから。それからもう一つ、不祥事のとき。当たり前のことですが、想像以上に叩かれました。合宿所にも苦情の電話が殺到した。学校からは合宿所と選手の管理は一人で責任を持って対処せいの一言。でも何とか持ち堪えられた。自分でも意外なほど性根が据わっていました。今考えるとサラリーマン時代にモノを売ったり、クレームで頭を下げてきた経験が利いたのかもしれません。

【黒木】元部員の強制わいせつ事件という不祥事が起きてから箱根駅伝までの1カ月は特にご苦労されたと思いますが、どのようにして乗り越えられたんですか?

【佐藤】早稲田さんと駒沢さん、どちらかに何かあった場合には2位まである。ウチの大学としては史上最高の成績を収めるチャンスだから、士気を上げるために優勝宣言したほうがいいと川嶋監督に進言するくらい、いいチーム状況だったんです。それがあの事件で選手は気持ちが完全に切れてしまった。でも私自身はずっと張り詰めていて、チーム練習は5日間自粛しましたが、気持ちをつなげるために選手を毎晩集めてミーティングしていました。本当は行きたくなかったかもしれませんが、学校にも全部行かせた。

【黒木】ミーティングではどういうお話をされたんですか?

【佐藤】一人のせいじゃない。仲間なんだから皆で責任を取らなければいかん。それから、いい方向になるように周りの人たちが頑張ってくれているので、その準備だけはしておけ。まとまった練習はしないが、各自で体をなまらせないようにと。結論が出ていない段階ですから、ハッキリした言い方はできないので互いにモヤモヤしていましたね。ただし、生活面のことはしつこいくらいに言いました。普段見逃していて言えないこともある。それを言う絶好のチャンスだという考えもありました。

【黒木】素直に耳を傾けられる心理状態だった。

【佐藤】ウチの子たちは素直なタイプばかりですけど、ますます真面目に自分の問題として捉えてくれた感じがします。