「ガラパゴス的な存在」から脱却する意味

ロードスターのチーフデザイナーの中山雅さん(左)。(2月27日マツダ本社ショールーム、ロードスターサンクスデイ)

ロードスターのファンからすれば、モデルチェンジしてもデザインはオリジナルのイメージが残されていくことに真っ向から反対する人はあまりいないだろう。その意味で保守的だ。しかし、この流れをマツダの乗用車全体の視点から見てみると、果たして同一ブランドとしての総体的な統一感が意図されていたのかという点に関しては疑問符がつく。逆に言えば、マツダにとってもあるいはファンにしてみても、スポーツカーだからという理由で、マツダの全体のデザインからいわば“はみ出て”いても許されたのではないか。つまり、“総体としてマツダ乗用車の枠の中におさまっていない”ことが、むしろかえってロードスター特有の存在感だと肯定的に受け取られていた側面もあるだろう。

2011年の10月にロードスターのチーフデザイナーに指名されたデザイン本部の中山雅(まさし)は、“マツダのクルマづくりの考え方がわかるデザイン”に関してこんなコメントをしてくれた。

「“ロードスターだから”といったガラパゴス的な存在からの脱却を果たせ、ということですよ。今までは、マツダ車のラインアップの中で、いわば末っ子的な存在だったかもしれない。だから、名実ともにブランド・アイコンと認められるデザインを生み出そうとしたわけです」

もはや、末っ子だからと甘えてばかりはいられない、マツダ車ファミリー全体を牽引する立場へと脱却するのだ。確かに過去3代の所有者の中には、ロードスターのファンではあっても、マツダのファンとは限らない人も存在していたのは事実だった。彼らはときとしてロードスターを“マツダ”から切り離して見ていたこともある。ボディーからマツダのバッジを取り去ってしまうオーナーもいた。こうした“切り離されていても構わない末っ子”的な印象を完全になくしてしまわなければ、ロードスターがマツダ・ブランドの包括的な象徴にはなりえない。そう考えたとき、ロードスターのデザインの方向性は自ずと決まってくる。

こうしたデザインの構想をまとめあげようとしているまさにそのとき、開発部門ではスカイアクティブ技術の開発が佳境に入っていた。しかもそこでエンジニアや企画部門が標榜する“新世代のマツダ車”の特長はスカイアクティブ技術を活かした“人馬一体”という、もともと四半世紀にわたってロードスターの開発エンジニアが掲げていた“走り”の目標だった。

つまり、スカイアクティブを核としたマツダ特有の“走り”の、将来を見据えた方向性を明確に表現する、これがロードスターのデザインに与えられた課題だった。これができれば、言うまでもなく、“ガラパゴス”からの完全な脱出が完成する。