「望まない仕事」が池上さんを磨いた

不本意な人事は前向きな転機にもなり得る。ジャーナリストの池上彰氏はその1人だ。「週刊朝日」(2015年3月13日号)での対談記事(※2)によると、池上氏は40代半ばの時に、突然「週刊こどもニュース」のキャスターを打診され、初代の「お父さん役」を務めることになった。異動には満足していなかったが、業務命令として受け入れたという。

さらに池上氏は、ずっと現場で取材を続けたいと思い、「お父さん役」を続けながら、解説委員への異動希望を出していた。ところが、ある日、解説委員長に呼ばれて、「お前、解説委員希望ってずっと出し続けているけどダメだ」と通告を受ける。池上氏には専門分野がないということが理由だった。そのため50代半ばでNHKを退職。今やテレビ番組や著作に大車輪の活躍だ。

おそらく池上氏は、ジャーナリストを続けたいというこだわりと、NHKの中で一定のポジションを得たいという気持ちの双方を考慮して、解説委員を希望していたのだろう。

ところがNHKは池上氏を専門性のある人材とはみなかった。また池上氏は「週刊こどもニュース」のキャスターを望んではいなかったが、その仕事を通じてニュースをかみ砕く力を磨くことができたのだろう。

現在、ニュース解説において池上氏ほどの専門家はいない。池上氏のように不本意な人事を契機に、本来自分がやりたかった事柄や自分の適性を新たに発見する人は少なくない。

私は左遷を契機に自分を見つめ直した人を数多く取材してきた。いくつかの例を紹介したい。

大手都市銀行に勤めていた山下正樹さんは、バブル期には副支店長として早朝から深夜まで働く銀行マンだった。しかし支店長とソリが合わず、45歳の時、子会社のリース会社へ出向を命じられた。

出世レースから外れたくやしさが頭から離れず、悶々とした日々を過ごした。50歳の時、慣れない職場のストレスもあって病気になり、1カ月の入院生活を強いられた。そのとき「歩き遍路」についての本を読み、魅力に目覚めた。57歳で早期退職した翌日から歩き始め、現在では「公認先達・歩き遍路の会」の会長として「お遍路」文化の普及などに尽力している。

またメーカーのソフト開発部門を中心に順調な出世街道を歩んだ滝沢さん(仮名)は、40歳を目前に会社人生が暗転した。転勤してきた上司と仕事の姿勢が合わず、会議のたびに厳しく批判され、担当を途中で外されたこともある。

ストレスのせいか、不眠になり、微熱が2年余り続いた。医師の診断は「自律神経失調症」。妻は退社を勧めたが、「ここで負けられない」とシステム監査の試験に挑戦。2回目で合格した。資格取得がきっかけで新設部署に異動となり、体調も回復した。滝沢さんは「出世を重視するあまりに会社の仕事に比重をかけすぎていた」と振り返る。その後、勤務を続けながら大学院に通い、論文を書き、学会発表にも取り組んだ。その結果、システム監査の専門家として大学教授に転進した。