もう5年か、まだ5年か。悲喜こもごもの思いは被災者の数と同じだけある。未曾有の大災害となった東日本大震災により、東北はいまだ復興途上だ。大切な人を失い、ふるさとを追われ、学校が廃校になる。仕事が見つからず、仮住まいのままの人も少なくない。何より、いまだ約2500人の行方がわかっていない。

「震災のこと、もがいている私たちのことを忘れないでほしい。その一方で、あの日のことはあまり思い出したくない。矛盾するようですが、どちらも偽らざる自分の気持ちなんです」

津波に呑み込まれる仙台湾岸地域(南蒲生浄化センター提供/時事通信フォト=写真)。

割り切れない胸中をこう明かしてくれたのは、宮城県の沿岸部で被災し夫を津波で流された50代の主婦だ。避難所から仮設住宅、復興住宅へと住まいを移し、目まぐるしい5年間だった。現在は家業の酒店を再建し、忙しい日々を過ごしているという。

「でも、何かの拍子に震災当日の光景がフラッシュバックしてくることがあります。押し寄せる津波の中、一瞬つながった手が離れ、流されていく夫の姿がいまも脳裏に焼きついています。ただ、いつまでも泣いてばかりはいられません。もう一度、信じて生きていかなければと思っています」

多くの人がいまなお苦しみの渦中にいる。どうして自分たちが、と複雑な思いにとらわれる人もいる。だがそうした中でも、小さな灯に希望を託し人々は前進している。