なぜネットで疑惑が拡大したのか

【デジタル情報と創造性】佐野氏の五輪エンブレムがほんとうに盗作に類するものなのかについて、専門家はむしろデザインのオリジナル性を強調していたように思われる。ネット上で読める、深津貴之「よくわかる、なぜ『五輪とリエージュのロゴは似てない』と考えるデザイナーが多いのか?」(1)を読むと、その辺の事情がよくわかる。デザインの基本コンセプトが違うといい、外見が似ているというだけで素人に盗作呼ばわりされてはたまらない、という専門家の気持ちを代弁したものと言えよう。

たしかに東京のT、オリンピックのOなど使用したいデザインの基本は限られたものだから、結果が似てくることはあり得るだろう。ただネットで次々に“疑惑”が広がり、かつ拡大していった背景には、佐野氏、デザイン選定にあたった審査委員会(永井一正代表)、組織委それぞれに自らの仕事(役割)に対する「誠意の欠如」があったのは間違いない。

遠藤利明・五輪担当相や武藤組織委事務総長らの「組織委、審査委員会、デザイナーそれぞれに責任がある」、「責任があるかという議論はすべきではないし、できないと思う」といった発言は、「誰にも責任がない」ということに等しく、責任を隠蔽しようとする、まさに不誠実で無責任な態度と言えよう。

【三者三様の「不誠実」】まずデザイナーの側である。エンブレムが実際に盗作でなかったにしても、彼の仕事ぶりには創造活動に従事する人間の真摯さが欠けているように見受けられる。たとえ事務所の部下がやった落ち度だったにせよ、他人のデザインを安易にトレースしてしまうような仕事ぶりには疑問が残る。

絵の修行は模写から始まると言ってもいいかもしれない。しかし手書きで模写するのとデジタル画像をコピーすることでは、すでに百歩の差がある。コピーしたデジタル画像を加工することもまた容易である。だからオリジナルと盗作の境界は限りなくあいまいになる。だからこそデジタル情報を扱うときに心がけるべき緊張感が、佐野氏周辺には感じられない。むしろデジタル情報の便利さに流されているような印象を受ける。