「これから総理大臣になる政治家を挙げてください」。そう言われたとき、多くの記者が小泉進次郎議員を思い浮かべるだろう。少なくとも進次郎氏の同世代には、ライバル候補がいない。

小泉進次郎氏(写真=時事通信フォト)

今でこそ世間から高い評価を受ける進次郎氏だが、政治家としてのスタートは決して順風満帆ではなかった。彼がいかにして現在の地位に上りつめたか。進次郎氏の言動の端々を点検すると、人の上に立つ人物にふさわしい品格が見えてくる。初当選は2009年。父である小泉純一郎氏が政界引退を表明し、地盤である神奈川11区を引き継いでの立候補だった。自民党に逆風が吹き、世襲政治家に厳しい目が向けられる時勢にあって、進次郎氏もまた、難しい戦いを強いられた。演説に耳を傾けてくれない人々。ペットボトルを投げつけられたこともあった。それでも57.1%の得票率で選挙に勝つが、純一郎氏が70%を超える票を集めていたことを考えると、進次郎氏への期待はまだ薄かった。それから5年後、14年12月に行われた第47回衆院選では応援演説で地方を飛び回り、地元で終日活動できたのは2日間のみ。にもかかわらず、83.3%という父も成しえなかった驚異の得票率をマークし、投票率・投票数とも全国1位。国会議員として、自民党の顔として不動の地位を築き上げた。

地元での演説にはその躍進の謎を解く鍵が隠されている。進次郎氏はことあるごとに「皆さんに支えられて」というフレーズを口にする。「私が地元を空けていても、皆さんが守っていてくれるから、安心して仕事に打ち込める」といった具合に、周りの協力を得られるからこそ自分があると説く。「総理大臣になりたいですか」という質問に「総理大臣になってもらいたいと思われるような人になりたい」と回答したことからも、その姿勢が徹底していることがわかる。