なぜ日本に塾の文化が根付いたのか

名門校に関する短期集中連載の最後に、あえて学校という枠を離れ、塾について考察してみたい。

明治になって、国が学校制度を整備し、読み書きそろばんを中心とした小学校とエリート養成を目的とした大学の間に旧制中学ができたときには、そこへの受験対策として塾が生まれた。戦後、学校教育は上級学校への進学指導を手放したが、上級学校は入学者選考に際し、試験による選抜を続けたために、その対策として塾が必要とされるようになった。

高度成長期にさしかかり、知的労働者階級が創出されると、教育の大衆化が進み、単線的学校制度というレールの上での競争が激化し、ますます塾が必要とされるようになった。「学校群制度」や「総合選抜制度」によって公立回避の気運が高まると、私学受験熱が高まった。その受け皿も塾だった。極端な「ゆとり教育」が推し進められたときには、やはり塾が存在感を増した。

変化に歪みはつきものだ。歪みに対して、子をもつ親の「不安」や「不満」が生じる。その「不」の解消を、塾が引き受けてきたわけである。逆に、身銭を切ってでも子どもによい教育を受けさせたいと思う国民性と、それを受け止める塾という存在があったからこそ、日本の教育制度は致命的な失敗を回避でき、比較的スムーズに変化してこられたともいえる。

たとえば、もし塾がなく、極端な「ゆとり教育」だけが推し進められていたら、日本の教育はもっと混乱していたかもしれない。現在の学力レベルは保てていなかったかもしれない。実は、塾は、私学を含めた学校制度を陰から支え続けていたわけである。

また、こういうこともできる。子をもつ親の「不」を受け止めるのが塾の役割である。その「不」に柔軟に対応した塾が栄え、生き残る。塾は、子をもつ親の「不」つまり「ニーズ」を如実に映し出す鏡のような存在なのだ。