須田康夫(ラグビー釜石シーウェイブス主将)

すだ・やすお●1983年、宮城県石巻市生まれ。小学校2年でラグビーを始め、仙台育英高校を経て専修大学に進学。卒業後は日本IBMに入社する。2010年、釜石シーウェイブスに移った。ポジションはナンバー8。183cm、100kg。妻との間に一女。

“北の鉄人”新日鉄釜石の流れを汲むラグビー釜石シーウェイブス(SW)は入れ替え戦でクボタに敗れ、トップリーグ(TL)昇格の夢は成らなかった。打ちひしがれた釜石SW選手がスタンド前に整列した。

強風下、釜石応援団のカラフルな大漁旗がばたばたとはためく。「釜石コール」の続く中、主将の須田康夫は深々と頭を下げた。擦り傷だらけの顔が悔しさでゆがんだ。

「新しい歴史を作ろうと臨んだ試合だったんですけど、トップリーグのクボタさんの試合巧者ぶりというか、ゲームの中での精度という部分で差が出たかなと思います。でもチームとしては成長できた1年でした」

確かに釜石SWは、シーズンを通し、少しずつ成長してきた。本拠が岩手県釜石市。被災地復興のシンボルとして、熱烈なファンの声援の後押しを受けてきた。結果、TLの下のトップイーストで2位に食い込み、初めてトップチャレンジに進出した。

そこを勝ち上がり、初めてのTL入れ替え戦にたどり着いたのだった。

14日の埼玉県・熊谷ラグビー場。入れ替え戦としては異例の約2000人のファンが詰めかけた。須田主将はからだを張ったけれども、力の差はいかんともしがたかった。同主将は敗戦を噛みしめ、前を向く。

「また1からやり直したい。もっと情熱とか、執着心を出していけば、(TLは)全然、届かない距離ではないと思います」

どちらかといえば、苦難のラグビー人生を歩んできた。宮城県石巻市出身。小学校2年の時、地元のラグビースクールでラグビーを始めた。仙台育英高の時は高校日本代表に選ばれた。

専修大学では2年から、2部に降格した。卒業後、日本IBMでプレーしていたが、同社ラグビー部の活動縮小に伴い、5年前、釜石SWに移ってきた。

4年前の「3・11」の時は一時活動休止となり、チーム解散も覚悟した。でも、チームは被災した人々を勇気づける存在として、活動を再開、今季、三浦健博ヘッドコーチ就任と共に主将となった。

ずっと心はラグビーにのみ向かっている。ラグビーが心底、好きなのだ。チームの『熱』を大事にしてきた。

「熱です、熱。ラグビーをする時のテンションは絶対、下げちゃいけない。スイッチの切り替え方が大事なんです。もうこれは、コトバじゃない。みな、からだに染みついているものなのです」

目標は、TL昇格である。TLに上がって、新しい歴史を作ることである。それが、応援してくれたファンへの恩返しになると肝に銘じている。

「夢は?」と問えば、無骨な31歳は愉快そうに笑った。

「僕の夢はパレードしてもらうことです。TL昇格バレードです。いいでしょ、これ」

かつて釜石駅前では、新日鉄釜石の「日本一祝い」のパレードに市民が沸き上がった。その盛り上がりを再び、味わいたい。願えばかなう、そう須田主将は信じている。