「サイバー空間は忘れない」本当の理由

サイバーリテラシー3原則の1つ、「サイバー空間は忘れない」は、もはやあらためて論じるまでもないが、『サイバーリテラシー概論』ではこれを以下のように説明している。

《私たちが発言したことは、ほうっておけば、すぐ忘れられる。しかも、回りにいるごくわずかな人にしか届かない。それを記憶、あるいは記録するためには、何度も反復するなり、メモをとるなり、録音するなり、ビデオに収めるなり、なんらかの努力を払わなければならない。そういった努力の一環として、さまざまな出来事を記録し、多くの人に伝えるためのメディアが発達した。

サイバー空間では、これがまるで逆になる。いったんデジタル化された情報は、ほぼ永久に消えない。しかも瞬時に遠くまで伝えられる。サイバー空間上の自分の発言を削除しても、その情報はすでにコピーされ、どこかに保存されているだろうから、並大抵の努力では削除できない。いや完全に消し去ることは、すでに不可能だといっていい。

すなわちサイバー空間では、情報を記憶、あるいは記録することにはほとんど努力を必要とせず、逆にそれを削除するためにこそ大いなる努力が要請される。情報の記録という点で考えれば、現実世界とサイバー空間では、フィルムのポジとネガ、印刷技術の凸版と凹版のように、努力の方向が逆になる。図式的に言えば、「現実世界のデフォルト(初期設定)=<忘れる>、サイバー空間のデフォルト=<記憶する>」である。》

サイバー空間上の個人データは、もはや忘れられないどころか、ビッグデータの素材として換骨奪胎、再構成されて、ビジネスの糧として広範に利用されている。デジタルデータは簡単に検索できるから、データの山に埋もれて見えなくなるということもない。

また表面的には削除されているパソコン内のデータの痕跡を掘り起こして復活、犯罪立証などに役立てようというコンピュータ・フォレンジックの技術も進んでいる。さらに言えば、私たちのメールや掲示板、SNSなどの書き込みは大手IT企業などのサーバーに蓄積され、すでに本コラムでも取り上げたように、米国家安全保障局(NSA)などの政府機関に集められてもいる。まさにサイバー空間は忘れないわけである。