現実世界の制約がもたらす秩序

デジタルには緩衝地帯がない。これはサイバーリテラシー3原則「サイバー空間には制約がない」に関連する。これも『サイバーリテラシー概論』ではこう説明している。

《現実世界には、空間的、時間的な制約があるが、それらの制約が、実は、一定の自然秩序を作り出している。それは一種のバランスであり、行動の歯止めでもあった。

かつて世界は、峻厳な山、広大な海、長い河川などの自然環境によって隔てられ、一地方で発生した疾病や事件も、遠く離れた地域には伝わらなかった。現実の都市において、歓楽街はやはり公園、川、道路などで文教地区や住宅街と隔てられ、それなりに独立した一角を構成していた。 まっ昼間から歓楽街に足を向けるのはどうか、とやりにくいからやらないことが行為を規制し、それが一定の秩序を維持していたとも言える。

ところがサイバー空間は、技術によってつくられた空間であり、そこには意図的に仕込まない限り、原則として制約がない。空間的にも、時間的にも、シームレスにつながっている。だからこそ地理的制約を離れた出会いの可能性も生まれたわけである。

現実世界がもっている「あいまいさ」、「不徹底」、「自然減衰」、「物理的障害」、「自ずからなるバランス」、「自然秩序」といったものがサイバー空間にはない。》

緩衝地帯がないというデジタルの特質が、さまざまなトラブルが生じる遠因になっている。

たとえば、メールを手紙と比べてみる。日中、友人からいわれない中傷を受けて、腹の虫がおさまらず、夜中になって手紙を書いたとしよう。書いているうちにほかにもいろいろ腹立たしいことが思い出され、それらを一気に吐き出すことはよくある。書けば書くほど、怒りはエスカレートしてくる。しかし、書き上げてさて投函しようとしても、ポストはずいぶん遠くである。夜中にわざわざ出かけても、集配は明日になる。きっちり封はしたけれど、投函は翌朝、ということになるわけである。