錦織 圭(プロテニスプレーヤー・全米オープンテニス準優勝)

にしこり・けい●1989年、島根県松江市出身。5歳でテニスを始める。2001年、全国選抜ジュニア選手権、全国小学生大会、全日本ジュニア12歳以下をすべて制し、史上5人目となる全国制覇3冠を達成。07年のジャパンオープンでプロに転向。同年の全米オープンでは日本男子シングルスでは71年ぶりとなるベスト16に進出。12年の全豪オープンではベスト8に進出する。14年の全米オープンではアジア人初の準優勝を飾る。

この爽やかさはどうだろう。テニスの4大大会のひとつ、全米オープンで準優勝の快挙を遂げた錦織圭のことである。16日、東京都内で行われた某スポンサー主催の帰国報告会でのことだった。

帰国したばかりの24歳は言う。

「いいニュースをみなさんに届けることができてよかったです。グランドスラム(4大大会)の準優勝までこられたので、次は優勝目指してがんばりたいと思います」

いまや「時の人」である。アジア男子として初めてシングルス決勝に進んだ。マリン・チリッチ(クロアチア)にストレートで敗れ、日本人初のシングルス優勝はならなかったが、少なくないファンを感激させた。

この某会社とは、2008年9月からスポンサー契約を結び、12年4月から3年間の所属契約をしている。同社が同じくCM契約している松岡修造さんのビデオメッセージも披露され、大声のコメントが会場いっぱいに流れた。「快挙、おめでとうございます。全米オープンの圭から、テニスを学びました」「つらいときもありましたよね。1年間、試合に出られない時もあった」と。

そのメッセージが流れたあと、司会者から感想を求められると、錦織は「ちょっとウルっときそうなところをなんとか我慢しました」と漏らした。

「いろんな思い出があります。11歳から“修造チャレンジ”に参加しました。いま、いろんな思い出が駆けまわっています」

直後、司会者から、一番苦しかったこと、一番うれしかったことを聞かれた。

「けががすごく多かった。一番はひじの手術をした2008年の終わりですね。修造さんが言ったように、1年くらい、試合ができない状況が続いていたので……。モチベーションをなくしかけたり、テニスというものでこれから目標というものを立てられるかナと不安になったり……。世界のトップにいくことをまったく想像できなかった。その頃が一番、苦しんだ時期ですね」

一番うれしかったことは。

「USオープンで決勝に残れたことです。昔からのやっぱり夢でした。今回、悔しさもありましたが、同時にポジティブな面がたくさんあったので、これをおおきなステップにしたいナと思います」

この某スポンサーでは、錦織の活躍を記念して、全米オープンでガッツポーズしている錦織の写真がパッケージとなっている限定商品を売り出す。そのスポンサーの社長が「あのポーズ、もう一回やってくれない」と頼めば、恥ずかしがりながらも、やって見せた。

律儀なのか、サービス精神旺盛なのか。スポンサーの契約選手は大変なのである。質問が故郷の島根に及ぶと、錦織は感慨深そうにこう、続けた。

「島根に帰るたび、そこが、一番心が休まる場所ですから。家族もそうですし、親戚が集まる場所もそうです。また深夜に関わらず、パブリックビューイングなどいろんな形で応援してくれたことをうれしく思っています」

さすがプロか。24歳の錦織は最後まで、スポンサーやファンへの感謝の気持ちと笑顔を忘れなかった。