2014年9月12日(金)

「風を切って歩きなさい」-井村雅代

コーチの名言+PLUS—闘う者を磨く「ことば」の力【第102回】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
松瀬 学 まつせ・まなぶ
ノンフィクションライター

1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書は『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

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松瀬 学=文 フォート・キシモト=写真

井村雅代(シンクロナイズドスイミング日本代表コーチ)

いむら・まさよ●1950年、大阪府出身。中学生からシンクロナイズドスイミングを始める。まだ公開競技であった72年のミュンヘン五輪に出場後、78年に日本代表コーチに就任する。84年のロサンゼルス五輪以降、6大会連続のメダル獲得に成功。2004年のアテネ五輪の指導を持って退任した。その後中国代表のコーチに就任し、08年の北京五輪では銅メダル、12年のロンドン五輪では銀メダルの獲得に貢献。14年、日本代表のコーチに10年ぶりに復帰した。

崖っぷちに立たされたシンクロナイズドスイミングの日本代表に「名指導者」が戻ってきた。64歳の井村雅代。チームを立て直し、今月下旬からの仁川アジア大会にいどむ。

「ワタシは手品師でも何でもない」。そうは言っても、実績がある、情熱がある。勝負所を見極める眼力がある。コトバの端々には指導者としての自信がにじむ。

「世界はみんな、ワタシのことに一目置いてくれていると思うから、あの子たちにそれを利用してほしいと思うんです。ワタシ、根気あるでしょ。またの名を、しつこいの“しつ子”というんです。昔も今も変わらないのは、絶対本人が分かるまで、良いということが伝わるまであきらめないことです」

8月某日。日本代表の合宿公開日。東京都北区の国立スポーツ科学センターをのぞけば、その指導の熱血ぶりは健在だった。怒鳴り声で選手を震え上がらせながら、ちゃんと成長の楽しみも教えてあげるのだ。かつて「駄馬を名馬に変えるのが、コーチの仕事です」と言い切ったことがある。

「足が斜めになってるやんか! サイアク!」

「もっと、足を上げんか、足を!」

「足をもっと細くや!」

人には必ず、才能がある、とも言っていた。指導者があきらめなければ、どんな選手もうまくなると信じている。だから、“ワタシは、あきらめへん”のだ。

「ここは外国と一緒や」と、井村コーチは冗談っぽく漏らす。「若者気質も時代も変わっている。育ち方も教育も変わってないから、日本語が満足に伝わらないの」

選手たちには、うまくなりたい、いい成績を残したい、との意欲がある。「勝ちたい気持ちがあるけれど、彼女たちにはそれが実を結んだ経験がない。どこでもいいから、勝たせてあげたい」という。時間との勝負である。知らないことを教えて、どういう演技にまとめていくのか。

大阪府出身。実績は文句なし、である。1978年から日本代表のコーチを務め、日本に五輪メダルを連続でとらせてきた。デュエット、チームで日本代表に銀メダルを輝かせた2004年アテネ五輪のあと、日本を離れると、こんどは中国代表のヘッドコーチとして、08年北京五輪、12年ロンドン五輪で中国にメダルをもたらした。

日本代表チームを離れて10年。自身がどう変わったのか?と聞けば、井村コーチは「温厚になったね」とわらった。

「すごく温厚になってね、丁寧になりました。10歳トシをとって、それはもう、丁寧になりました。それはなぜかといえば、コトバが通じない国に行っていたから」

猛練習を課すだけでなく、意識改革もはじまっている。歩き方ひとつ、あいさつの仕方ひとつとっても、しゃきっとしていなければ、井村コーチは選手を叱り飛ばす。「シンクロは採点競技だから」という思いがあるからだ。“見てくれ”も大切なのだ。

「強い選手には決まって、そういった風格がある。強い選手が通ったら、みんなパッと見るでしょ。カッコいいと思うでしょ。だから、選手には言うの。“精悍になりなさい”“風を切って歩きなさい”って」

やさしい鬼コーチが、低迷する日本シンクロに活を入れる。

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