2014年7月1日(火)

大学中退、ブラック企業就職で見えたもの

働き方のリアル ベンチャー篇【14】スローガン 馬場貴子

PRESIDENT Online スペシャル

著者
稲泉 連 いないずみ・れん
ノンフィクション作家

稲泉 連

1979年、東京都生まれ。2005年、『ぼくもいくさに征くのだけれど』で大宅壮一ノンフィクション賞を史上最年少で受賞。その他の著書に『仕事漂流』『復興の書店』など。

執筆記事一覧

稲泉連=インタビュー・構成
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スローガン 馬場貴子
1986年生まれ。早稲田大学中退後、営業会社に就職。退社後、北京大学への留学などを経て、スローガン入社。現在、組織開発部門マネジャー。

友達とかに経緯や思いを話してもなかなかわかってもらえないんですが、私、一度大学を辞めて新宿の営業会社で働いていたことがあるんです。

大学は1年半通ってやめました。私は鹿児島の出身で、進学校に通っていました。実家が自営業で共働きということもあって、小学校時代から週5で習い事をして、生徒会や部活でも役職を担当して、テストもよい点をとってという優等生タイプでした。でも、高校時代に反動がきたんです。やりたいことがないから大学には行かないと地味に反抗していたら、親や教師から「あなたがそう言うのは受験から逃げているからだ」と言われて……。その“逃げ”っていう言葉に反応して大学を受けたんです。国内だったらなんとなく東京かなと思ったんですけど、数学ができなかったし、努力不足で国立は無理でしたけど。

そんな感じで東京に出てきたので、当時の私にはやりたいことって何もなく、ただ「将来が砂漠みたいだなぁ」とぼんやりしていただけでした。そんななか、実家の親も「毎週電話して来い」とか「手紙を書け」と言うので、そこから逃げたいという思いもあったのかな。自分でお金を稼いだら親からもうるさく言われなくなるのかな、って考えたんですね。

それでアルバイト情報誌の「アン」を買ってきて、その新宿にある会社の面接を受けに行ったんです。最初はアルバイトの募集だったのですが、中途採用もやっているよと言われてそのまま社員になっちゃったんですよ。

当時はよくわかっていませんでしたが、後から考えると、いわゆるブラック企業だったかもしれません。今はもう潰れてありませんが、営業の代理店の会社で、私の配属先はコールセンターを拠点にして海外資本の医療保険を売る部署でした。

新人はまず1日に800件の電話をかけるところからスタートします。それができるようになると、今度は資料請求をしたお客さんに電話をかけ、具体的に商品を売り込む仕事ができるようになる。で、次はチームリーダー、グループリーダーと昇進していきます。

営業代理店の常かもしれませんが、その会社は入れ替わりがとても激しくて、私と同じタイミングで入社した社員13人が、次の月には3人になっていたり……。それが毎月繰り返される感じでした。ひたすら電話をかけ続けるという仕事が合わない人も多いですし、相手に怒られることも多いので。予算達成の圧力もすごくて、上司からも日常的に叱られます。基本、帰るのは終電で、数字が進捗していなければ土日も普通に出社しますしね。

だけど、その職場や仕事をあんまりきついと感じたことはなかったですね。私はもともと目標達成志向が強くて、性格も営業に向いていたんだと思います。結果もついてきたので、特にプレイヤーの時期はわりと楽しく過ごしていました。受験勉強とか部活と同じゲーム感覚で、かつお金ももらえるなんてラッキーだなくらいの感じでしたね。

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