2014年6月3日(火)

なぜ起業家はみな「社会のため」と言うのか

働き方のリアル ベンチャー篇【7】FiNC 溝口勇児

PRESIDENT Online スペシャル

著者
稲泉 連 いないずみ・れん
ノンフィクション作家

稲泉 連

1979年、東京都生まれ。2005年、『ぼくもいくさに征くのだけれど』で大宅壮一ノンフィクション賞を史上最年少で受賞。その他の著書に『仕事漂流』『復興の書店』など。

執筆記事一覧

稲泉連=インタビュー・構成
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FiNC 溝口勇児
1984年生まれ。高校在学中にトレーナーとしてフィットネスクラブに入社。2012年、株式会社FiNC設立。同社、代表取締役。

ぼくが事業をやり始めた理由ですか? そうですね……いまそれをきちんと考えてみると、いくつかの理由が絡み合っているように思うんです。一つは同世代に対する劣等感みたいなものかもしれません。同じ世代の友人が大学でやれサークルだ、やれコンパだと遊んでいるのを横目に見て、ぼくは生活するためにただひたすら仕事をしていました。これだけ人より頑張っているのだから、彼らよりは高いところに立ちたいっていう気持ちが昔からありました。

ぼくは東京の新宿区の生まれで、ちょっと複雑な家庭に育ったんです。父親は孤児院育ちで両親や親戚がまったくなし。母親は若い頃にかなりヤンチャをしていた人だったから、こちらも勘当されて親戚付き合いはなかった。両親はぼくが3歳の時に離婚をしました。ぼくと1歳の妹は母に引き取られたのですが、そのとき、母はまだ23歳でした。

そうした事情もあって、家は現代では稀に見るくらい貧乏でしたね。例えば食事なんかもスパゲティにマヨネーズをかけたものや、ご飯とふりかけみたいなものばかり。小学生のときは給食費も当然のように払えず、なんで自分だけお金が払えないんだろう、って不思議でした。

母は朝も夜も働いていました。気前よく誰かの連帯保証人になったり、職場で喧嘩して仕事をすぐに辞めたりするので、住む場所も転々とすることになりましてね。高校を卒業するまで10回以上は引っ越したくらいで、勉強はできないわけじゃなかったんだけれど、家が貧乏だったので大学に行くのは諦めたんです。

中学校時代から友達の父親がやっている運送会社の荷卸しの仕事を手伝い、高校時代はマクドナルド、建設業、引っ越し、働いてばかりいましたね。稼いだお金は自分の食費や部活の費用、学校にかかるお金にすべて当てていました。家庭環境を考えると、それが高校に行くうえで必須条件でした。高3の頃はほとんど自立していたというか、友達の家を渡り歩いて実家には寄りつかなくなりました。

いまでもかなり忙しく働いていますが、高校の頃のほうが体力的にはきつかったです。自分でも切ないと思うのは、部活でやっていたサッカーの試合が土日で、仕事が入っている場合は試合に行けなかったことですね。

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