あのバッタ博士・前野ウルド浩太郎が帰ってきた。6月、連載《バッタ博士の「今週のひと工夫」》が始まったとき、博士は「33歳、無収入、職場はアフリカ」と名乗りを上げた。未来は何も約束されていなかった。
そして今、われわれの前に再び現れた博士は、32.2倍の超難関を突破して、自らの力で定期収入とベストの研究環境を見事手に入れていた。
その名は「京都大学白眉プロジェクト」。
バッタ博士はいかにして難関を突破し、無収入の苦境を脱したのか。
「これで、研究を続けることができます」
12月10日火曜日、博士は東京・神楽坂にいた。著作『孤独なバッタが群れるとき』(東海大学出版会)が「第四回いける本大賞」を受賞し、その授賞式にやってきたのだ。この変な名前の賞は、出版業界有志による「ムダの会」という変な名前の集まりが選んでいる。名前は変だが、ジャンルを問わず読み応えのある本が選ばれており、博士の著作は自然科学系から初の受賞となった。編集部では授賞式前の博士をつかまえ、無収入を脱した経緯を訊いた。
――博士、無収入脱出、おめでとうございます。
【前野】ありがとうございます。
――「白眉プロジェクト」というものに合格したそうですが、それは何ですか。
【前野】若い研究者にすべてを託す、斬新すぎるプロジェクトです。
2009年、京都大学に設立された「次世代研究者育成センター」で行われている若手研究者の育成事業。その通称が「白眉プロジェクト」だ。応募資格は博士の学位を有する者。専攻分野も国籍も不問。毎年20名を上限として採用し、京大の年俸制特定教員(准教授もしくは助教)として最長5年間給料を得ることができる。加えて、年100万~400万円の研究費も出る。
【前野】授業や報告書の類が一切免除され、研究に専念できる環境が準備されているんです。パラダイスです。これで、アフリカでのバッタ研究を続けることができます。
――若い研究者を支援する仕組み、白眉プロジェクト以外にはないのですか。
【前野】あるんですけど、年齢制限があるものが多くて。博士号を取って3年、そのあと海外で学ぶとして2年、国の支援では33~34歳くらいで限界に達する。民間の財団にも支援の仕組みはあるんですけど、国内にポジションを持っていないと駄目だったり。自分のようにアフリカで研究を続けたいとなると……絶望的です。
――白眉というパラダイスの存在を、いつ、どうやって知りましたか。
【前野】海外で研究をしている研究者たちが Skype で意見交換をする集まりがあって、そこに自分も参加しているんですけど、去年、そこで友だちが「白眉に受かった」と。それまでそういうものがあると知りませんでした。
バッタ博士の友だち、第4期白眉研究者の名は進化生物学者の細将貴(ほそ・まさき)さん。著作に『右利きのヘビ仮説――追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化』(博士の著作と同じ東海大学出版会《フィールドの生物学》シリーズのひとつ)がある。
【前野】白眉プロジェクトのことを調べてみて「えー、何これ? パラダイス!」と思いました。ただ、今までの合格者を見ると「Nature」や「Science」といったトップレベルの学術誌に論文が載るレベルの人たちで、うわこりゃ厳しいなとは思ったんですけど、京大はこのプロジェクトを始めるにあたってグローバル人材、グローバル人材と言っていたので、(アフリカで研究している博士としては)ちょっと期待して応募してみようかな、と。
「白眉プロジェクト2013」のパンフレットにはこうある。《グローバル化が進展する昨今、学問の新たな潮流を拓くことのできる広い視野と柔軟な発想を持つ創造性豊かな人材を育成することは京都大学にとっても重要な課題です。この課題への取り組みとして、京都大学では、京都大学次世代研究者育成事業「白眉プロジェクト」を平成21年度より実施し、この事業を円滑に実施するために白眉センターを設置しました》。
編集部では白眉センター長の田中耕司京都大学名誉教授に「京大は白眉研究生にリターンとして何を求めるのか」と訊いている。「まあ、将来誰かがノーベル賞を獲って、そのときに『白眉のおかげです』とでも言ってくれれば十分ですよ(笑)」と田中名誉教授。インパクト・ファクター(論文がどれだけ引用されたかを見る指数)などは求めないという。前出のパンフレットに田中名誉教授はこう書いている。
《人材の確保や研究成果の評価を巡って大学間の競争が激しくなるなか、白眉プロジェクトのような「おおらかな」研究者支援プログラムがますます必要となってくるにちがいありません》
今期(第五期)の公募締切は5月8日。最初は書類審査だ。提出した書類の一部を博士に見せてもらった。そこには「ニコニコ」「むしむし」という文字があった。