「小商い」から次の段階へ

【宇野】僕はメルマガも出しています。それなりに支持をもらっていて、配信業者にちょっと中抜きされても、これだけで事務所の人件費以上が出る。僕はそういった「小商い」を作ることはそれなりに得意なんですよ。でも、いま僕がやろうとしていることは、個人を食わせるというレベルのものじゃない。

では、「いま、僕がやろうとしていること」は何か。

【宇野】本も出していきたいし、ウェブマガジンみたいなこともやりたいんですよね。それから仕組みですね。僕がなぜAKBを好きになっただけじゃなくて批評対象にしたかというと、AKBがソフトではなくてハードだからです、半分。そこに興味を持った。秋元康さんはこれまでのノウハウを総動員して、いわゆる既存の芸能界とはちょっと違う仕組みをAKBで作り上げて成功しました。AKBはシステムなんですよ。僕個人としてもここ2、3年の変化なんですが、興味の対象が個々の作品や現象とか表現からハードや仕組みの世界に移ってきた。たとえば今年3月に出した『日本文化の論点』の中で、いま都市部には新しいタイプのホワイトカラーが出現していて、彼らの組合みたいなものを作りたいと書いていますが、あれはけっこう本気なんです。

僕の読者はすごく若いので、コミュニティを作って人を育てるようなこともやりたいです。僕は組織の外に完全に出ちゃってますが、いち仕事相手として、いち発注先として以前いた会社とはいまも付き合ってます。僕は今まで、自分の社会的な段階や状況に応じて法人との距離をこまめに測り直してきました。帰属している会社を自分と契約している一法人だと捉えて、自分の社会的な条件を変えるために交渉をしていったんですよ。本来、個人と法人は対等なプレーヤー同士なんだから、条件次第ではいろんな交渉ができるんだと若いサラリーマンや学生に知ってほしい。日本の雇用環境だとちょっと難しいゲームかもしれないけど、不可能じゃない。こういった例をいっぱい作っていくことで世の中を変えていくんだと伝えたいですね。

いったいいくつの構想が出てきただろう。しかし、これで終わりではない。まだまだ続きがある。

【宇野】NHKでやった「ニッポンのジレンマ」のような討論番組は、僕がプロデューサーをやったほうが絶対に5倍ぐらいおもしろいものができると思うので、そういう討論番組もやりたいし、放送もやっていきたい。コワーキングスペースとニコ生のスタジオが合体したような場所もつくりたい。僕の身の回りにいるフリー編集者とか映像ディレクターが仕事をしていて、そこに行けば学生たちはインターンで仕事を学び、業界の知識が手に入れられる。そこで生まれた企画をすぐその場で放送できる文化スポットのような施設です。ニュース解説の番組とかもやりたいし、『ほぼ日』みたいなサイトも始めたい。要するに「モノ」をつくったり売ったりして、読み物もあって、ライフスタイルを提案していくような媒体ですね。単行本や映像ソフトも、何かいい素材があったらすぐにパッケージにできるような環境が欲しいんですよ。たとえば僕はAKB48の横山由依さんのファンなんですが、彼女の冠番組(『横山由依(AKB48)がはんなりめぐる京都・美の音色』[関西テレビ放送、BSフジ])はたぶんソフト化されないと思うんですよ。たとえば、そういうときには「じゃあ、うちがソフト化します」と手をあげられるような環境も作りたいですね。絶対に需要があるので、価格設定と仕様さえ間違えなければ、十分商売になるはずですよ。まあ、一番先に着手したいのは、究極のあまちゃん本かな。

最後に語ったあまちゃん本の夢は、2013年10月に発売された『あまちゃんメモリーズ 文藝春秋×PLANETS』で結実した。だが、これは宇野が言うところの「得意な小商い」の一つにすぎない。サブカルの領域で自己完結せず、秋元康のように表の世界を侵略したいと願い、走り続ける35歳の宇野が欲するものはお金と組織力。いや、それを調達するパートナーだ。

【宇野】ジブリでいうと鈴木敏夫が要るのかもしれないですね。お金を集めて、スタッフを指揮して、オペレーションを実行してくれるパートナーが。僕は企画とクオリティ管理だけをやりたい。

鈴木敏夫は1980年代にアニメ誌の編集者として宮崎駿と出会い、スタジオジブリにプロデューサーとして移籍し、宮崎を支えてきた。35歳の宇野がどこまで世界を侵略するのか、この目で見てみたいと思う人は多いはずだ。出でよ、鈴木敏夫。

(文と撮影=プレジデントオンライン編集部)