星野仙一(プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)

ほしの・せんいち 
日本プロ野球初の戦後生まれの監督。1947年、岡山県出身。岡山県立倉敷商高、明治大学を経て69年に中日ドラゴンズ入団。74年に沢村賞受賞。82年、現役引退(対ジャイアンツ戦通算35勝31敗)。87~91、96~2001年ドラゴンズ監督、02~03年タイガース監督。08年、オリンピック日本代表監督。11年よりゴールデンイーグルス監督。今年は監督通算1134勝を達成、長嶋茂雄(1034勝)、川上哲治(1066勝)を抜き日本のプロ野球監督勝利数ベストテン入りを果たした。(共同通信=写真)

雨の仙台。涙の仙一。男ホシノが宙を舞う。

3日夜。プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスが球団創設9年目で初の日本一に輝いた。自身初の日本シリーズ制覇となった星野仙一監督が、試合直後のテレビインタビューで声を張り上げた。

「もうサイコー!」

何度も選手に感謝し、最後を締めくくったエースの田中将大投手を讃えた。

「東北の子どもたち、全国の子どもたちに、そして被災者のみなさんにこれだけの勇気を与えてくれた選手をほめてやってください」

日本シリーズは第7戦までもつれこんだ。エース投入も、最後まで気を抜くことはできなかった。「何が起こるかわからん、人生は」。66歳のコトバに実感がこもる。

「就任当時、あの大震災で苦労なさっているみなさんを見ると、日本一になってみんなを癒してあげたい。それしかないと信じて、この3年間、戦ってきました」

プロ選手はどうあるべきか、時には選手たちに厳しく接したこともある。「よく、わたしの罵倒に耐えたな、と。ファンも耐えてくださいよ」。超満員のスタンドがどっと沸いた。

「義理人情」の人である。こんなことがあった。2年前、楽天監督に就任した年の沖縄・久米島キャンプ。筆者は、某雑誌の依頼で星野監督の特集原稿を書くことになった。監督は超多忙。球団広報から、キャンプ中の個別インタビューを断られた。

練習後の囲み取材のあと、筆者は“ダメもと"で直談判した。「インタビュー時間をもらえませんか」と。二度断られ、翌日、またも監督に頼み込んだ。その日の夜、球団広報から携帯に電話をもらった。「監督が、インタビューを受けるそうです」。そういう人なのだ。

確か、そのインタビューで、星野監督は「勝利への執念」を強調していた。「思いが強ければ強いほど、勝利に近づいていく。オレは優勝して、選手を泣かせてやりたいんだ」と。

その直後、チーム本拠地の東北を東日本大震災が襲った。間違いなく、監督の勝利への思いはより強くなったはずである。3年目。田中を軸にチーム一丸となった。

岡山生まれ。プロ野球中日で活躍し、引退後、中日、阪神の監督を務め、そして楽天の指揮をとる。監督生活16年目。自身初の日本一のことを聞かれると、「私のことなんて、どうだっていいけれど」も乗ってこなかった。

「まだまだ被災者のみなさん、ご苦労をなさっています。(この日本一で)ほんの少しでも、雀の涙ほどでもいいから、癒してあげたいといつも考えていました。ありがとう」

モットーが「人間を好きになれ」「感謝」である。被災地に希望の灯りをともした日本一監督はサイコーの笑顔を浮かべていた。