結果論の「物語」がファン拡大に寄与

意思決定が川上を中心とする少人数に集約されたことで、ももクロは前例のない奇抜な演出に挑戦し続けることになった。結成当初は車中泊による地方巡業を敢行。さらに代々木公園での路上ライブ、2時間公演を1日3回という過酷なツアー、覆面でプロレス会場に乱入――。最近ではテレビ番組「徹子の部屋」に黒柳徹子と同じ「玉ねぎヘア」で出演したこともある。

確固たるキャラ設定に加え、ほかのグループでは考えられないような挑戦を続ける姿勢が、感動的な「物語」を生み、ファンの輪を広げた。その過程は即断即決だが、「グループの行き先」(川上)にはブレがない。周囲のスタッフは「ももクロさんの仕事はやりやすい」と口を揃える。

「ほかでは1カ月ぐらいの準備期間がありますが、ももクロは長くても2週間くらい。打ち合わせでの指示は『宝塚みたいに』とかシンプル」(ヘアメイクの中條三菜子)

「紅白の衣装は『近未来の着物』というオーダーでした。デザイン画を起こして、普通は何度かやり取りをしてから衣装の制作に入るのですが、ももクロはデザイン画の段階でいつも一発OK。紅白もそうでした」(スタイリストの寄森久美子)

ももクロという企画自体は成り行きで生まれたものだ。明確なシナリオが用意されていたわけではない。その「行き先」は川上の頭のなかだけにあるが、ときに川上は「結果論ですよ」と自嘲する。それはメンバーやスタッフ、ときにはファンとのやり取りのなかから、物語がつくられ、それに合わせて「行き先」が広がってきた側面があるからだろう。

川上は唐突な「重大発表」という演出を好む。それは「ファンを巻き込んでいきたいから」だという。

「バラエティの生番組が大好きだったので、そうしたテレビの演出に影響を受けています。ライブやネット中継などでグループの重大発表をすると、ファンの人たちには『自分だけが知っている』と感じてもらえる。空気を共有する人たちと一緒に盛り上がりたいんです。いまはツイッターなどでお客さんの反応を確かめることもできる。ネットの活用は予算の制約から始めたことでしたが、結果としてうまくいきました」