「初志貫徹しろ」という一言が響いた
ジムは「すばらしい、パッションだ」と吉田をべた褒めし、「クレイジー・ヨシ」の愛称で呼ぶようになった。2人の長い付き合いが始まった。
数年後、急成長したコストコは、ヨシダのグルメソースを世界戦略に組み入れ、売れ行きに関係なく世界のコストコの棚に置いた。
コストコが1999年に日本に進出する際も、ジムから「一緒に日本のマーケットに行くぞ」と誘われたが、吉田は日本進出で失敗に終わった過去があったため、最初はこの誘いを断ったという。
「ジムに、日本へ進出するなら、ソースの味を日本人の味覚に合うように改良しないと無理だ、それが条件だと言ったんだ。そうしたら、ジムは『ノー! Stick with your principle.つまり、初志貫徹しろ。味は変えるな。世界のどこへ行っても今の味で勝負しないとダメだ』と僕を説得した。その言葉で、自分の後ろ向きの考えに気づいて、勝負せなアカンと思ったんや」
ジムの一言で、製造拠点をオレゴン州の1カ所だけに置き、世界共通のソースの味にする方針に転換したという。
そして、コストコと共にヨシダのグルメソースは海外市場へ進出していくが、経営危機という思わぬ落とし穴が吉田を待ち構えていた。
ベンツを乗り回し「自分から堕ちた」
「ジェットコースターのような人生」が突如、吉田を襲う。
好調だった事業が赤字に急転し、倒産の危機に4度陥った。なかでも最もしんどかった時期が2度あったという。
1度目は1986年、会社設立から4年目のことだった。
起業2年目に売り上げが急伸したことで、倒産したソーダ工場の建物を借りて、新たな機械を導入し、スタッフを8人採用した。ラジオに1日3、4本の広告を流し、事業を一気に広げていった。私生活も、ベンツや当時最新の携帯電話も購入して派手になっていく。
ところがどんなにソースを売っても、売上が経費に追いつかず赤字が続いた。
支払いのため、ベンツも妻の車も売り、娘も転校させたが、資金繰りがうまくいかず、酒に逃げた。
「調子に乗っていた。一介の素人が、事業が危ないのに、見栄をはりたくてベンツに乗っていた。自分から堕ちたんや」