「真逆のストーリーを語りたい」。Jリーグを飛び出した40代からの熱い逆指名
本連載の取材協力者募集フォームにこんな内容のメールが入った。
<Jリーグクラブ「セレッソ大阪」で13年間、広報、営業などを担当し、その後40歳でスタートアップに転職。1年たたずに退職勧奨を受けてしまいましたが、(中略)現在は「給食DX」に取り組む企業で、採用マーケティングの立ち上げを担当しています。Jリーグ時代に培った「ファンづくり」と、スタートアップで叩き込まれた「泥くさいリード獲得・マーケティング」の経験を掛け合わせ、レガシー産業の採用に変革を起こすべく奮闘しています。(中略) 「40代の失敗や挫折も含めたキャリアの再構築」について、等身大の言葉でお話しできると思います。>
以前に執筆した記事「自分の人生を自分のものにするために。鹿島アントラーズFCに中途入社した京都大学卒30歳の熱意」を読み、<真逆の、「Jリーグクラブを飛び出した40代」のストーリー>を語りたくなったという。大歓迎である。
現在も大阪に住んでいる片倉庄一さん(43歳)は、妻子と5人暮らしの自宅から自転車でも通える範囲の会社に勤めている。オンラインもしくは大阪で取材しようと思っていたら、有給休暇を取得して東京にあるプレジデント社に来てくれるという。情熱的で行動力のある人のようだ。
プレジデント社の会議室で待っていたら、約束の時間ピッタリに片倉さんが現れた。色白で短髪、声は大きめ。20代なのかと思うぐらい元気に謙虚に挨拶をしてくれる。営業や広報としての経験が長い人に共通する、鍛えられた社交性を感じた。
営業の会社リクルートでの飛び込み営業の日々。「オレに売れないものはない!」
石川県で生まれ育った片倉さん。信州大学を卒業後、「やりたい何か」はないけれど「がむしゃらに働きたい」という気持ちは強く、テレビ番組で知った社長が経営する小さなコンサルティング会社に就職した。しかし、家族の事情で半年間での退職&帰郷を余儀なくされる。
「僕は4人兄弟の末っ子です。誰かが実家に戻らねばなりませんでした」
実家から通える範囲で再就職先を探した片倉さんは、「就職活動のときによく見ていた会社だから」という理由でリクルートの営業所に応募。石川県内の企業への求人広告飛び込み営業部隊に採用される。
「当時、『タウンワーク』の立ち上げの時期だったので、営業がすごく盛り上がっていました。ひたすら飛び込み営業をして、やっと契約を取れたら広告を作っての繰り返しです。毎月、誰かしらが退職するほどつらい職場でしたが、僕の性には合っていました」
片倉さんによれば、人の採用は重要な経営課題の一つ。求人広告の営業は顧客企業のリーダー層と話せることが多く、若くてやる気がある人の学びの場としては適しているという。金融機関やコンサルティング会社をキャリアの通過点とする人に似た発想だ。
「いい人が採用できたと喜んでもらえるのがすごくうれしかったです。リクルートはモチベーションを上げるのが上手な会社なので、MVP(社内表彰制度の一つ)を取ったら神様扱いをしてくれます。僕も何度かMVPを取り『オレに売れないものはない!』なんてめっちゃ調子に乗っていました(笑)」
リーマン・ショックと30歳手前の焦燥。未経験で飛び込んだサッカービジネスの世界
リクルートでのハイテンションな日々が4年ほど続いた頃、リーマン・ショックが勃発。人材業界は冷え込み、片倉さんが所属する営業所も希望退職者を募った。手を挙げた片倉さんは当時の心境をこう振り返る。
「仕事に不満はありませんでした。でも、僕より若くて優秀な人たちが毎年入ってくる職場で、営業成績をずっと競い合う働き方は30歳を過ぎたらできないと思ったんです」
その頃には長兄が家族を連れて地元に戻り、家を建てて親と同居を始めていた。家族のことはもう心配ない。片倉さんは28歳独身。これからはどこにでも行ける。
「都会で挑戦したかったので、東京か大阪に行きたいと思っていました。転職エージェントに紹介されたのがセレッソ大阪の営業職です。サッカーにはまったく興味がなかったので一度断ったのですが、エージェントに『片倉さんと多分、合いますよ』と勧められたので面接を受けてみました」
子どもの頃から格闘技に親しみ、空手でインターハイに出場した経験もある片倉さん。日本代表の試合も見ないほどサッカーには関心がなかったが、セレッソ大阪の採用面接で「地域振興」の側面に心惹かれた。
「Jリーグにはホームタウン制度があって、地元をスポーツの力で盛り上げようとしています。行政ではないのに公の部分が大きいんです。リクルートも『雇用をつくることで地域を元気にする』を大義にしていて、僕はそれをそのまま飲みこんで頑張ってきたので、何か通じるものがあると思いました」
元日本代表の「もりし」こと森島寛晃氏(セレッソ大阪の現会長)の名前すら知らなかった片倉さん。大阪出身ですらない。最初の数カ月は「めちゃアウェイだ」と感じたが、その後はサッカービジネスに身も心もどっぷりハマった。
「売り上げ以上に大事なものがあります。それは『いかにお客さんを喜ばせられるか』です。お客さんをアウェイの試合にお連れするバスツアーのアテンドもしました。おじいちゃんおばあちゃんも敵地で張り切って応援して、地域の絆も深まります。人に役立っていることを実感したい僕にはめっちゃ楽しい13年間でした」
売り上げよりも大事なものがあるサッカービジネス。親会社という強力なスポンサーがあるからこその自由と和やかさであるが、それが片倉さんの退職理由の一つになった。
親会社の庇護に感じた無力感。「ちょうどいい厳しさ」を求めて揺れ動いた13年間
「僕が入社して担当したのはスポンサー営業。ホームスタジアムに看板を出してくれる企業を探すのが主な仕事です。だんだんと仕事に慣れ、1千万円の新規契約を取れた年もありました。でも、赤字になりそうなときは親会社が年度末に広告宣伝費を投入して補填してくれるんです。これはセレッソ大阪だけでなく、Jリーグのクラブチームすべてに言えることだと思います。会社としてはありがたいことなのですが、営業担当としては新規開拓のモチベーションが下がりました」
無力感に苛まれされたと語る片倉さん。リクルート時代の激しい競争環境と達成感が忘れられないのかもしれないが、そこから離脱したのも片倉さん自身である。ちょうどいい厳しさの職場などはこの世に存在しない。
片倉さんのセレッソ退職理由はもう一つある。土日を家族と過ごすため、だ。片倉さんは33歳のときに大阪在住の年下女性と結婚し、現在は3人兄弟の父親でもある。しかし、ホームゲームがある日は全員出勤がJリーグの常識。最大の営業機会でもある。
「スポンサーになってくれそうな会社の方をVIP待遇で試合に招き、観客の盛り上がりぶりを見せながら、『あのへんに御社の看板を出しませんか?』と誘えるからです」
妻からの最後通告。ルヴァンカップ決勝の日に突きつけられた「土日休み」への決断
片倉さんの妻も医療関連会社で正社員をしている。週末に片倉さんがいないときは一人で息子たちの習い事の送り迎えや応援をしていた。片倉さんの仕事を理解しつつ、少しずつ不満がたまっていたようだ。
「セレッソがルヴァンカップ(リーグ戦、天皇杯と並ぶ国内三大タイトルの一つ)の決勝に進出したときのことです。ホームゲームではないので営業の出番はあまりないのですが、チームの一員として(開催地の国立競技場に)行くのが当然だと思っていました」
その日は長男の運動会と重なっていたが、片倉さんの眼中には仕事しかなかった。普段は穏やかな妻の怒りが爆発。3日間も口をきいてくれず、片倉さんは事態の深刻さをようやく理解した。運動会の冒頭だけに顔を出し、すぐに東京に行ってキックオフには間に合わせる、という折衷案でしのいだという。
妻は少しずつ許してくれた。しかし、土日は基本的に仕事という状況は改善してほしいと言われた。要望ではなく最後通告と受け取ったほうが良さそうだ。
入社20日後の人員整理と年収180万円ダウン。40歳で味わった「退職勧奨」
土日は家族と過ごそうと決意した片倉さん。一方で「平日はもっとバリバリ働きたい」という気持ちも強まっていた。セレッソ大阪で営業の次に広報を経験し、プロ選手とじかに向き合ったことも影響している。
「広報部の後輩社員のモチベーションが下がっていたことがありました。『歯が痛いから会社を休むかも』なんてみんなの前で話していて、それを聞いた選手から『片倉さんたちは休みたいときに休めていいよな。オレたちはその日そのときがすべて。一生懸命にならざるを得ない』と言われたことを強烈に覚えています。考えてみれば、選手は1年契約ですし、その現場にいた他の人たちも業務委託のプロフェッショナル。会社での立場に甘えて『休みたい』と言っているのは社員だけだったんです」
片倉さんは転職活動を始め、税理士業界向けのITベンチャーから誘いを受ける。猛烈に働く社長に感銘を受け、「初めての広報担当者として製品・サービスのPRを好きにやってほしい」と与えられる裁量権の大きさにも魅力を感じた。エネルギッシュで行動力抜群の片倉さんだが、慎重さにはやや欠けているのかもしれない。2023年の春、13年勤めたセレッソ大阪からの転職を決めた。
この判断の結果は入社わずか20日後に凶と出た。運転資金不足を理由に会社が人員整理を始め、片倉さんの他に3人いたセールス担当がいなくなり、片倉さんが広報と営業を一人で担当することになったのだ。どちらの実績もある片倉さんの入社を待っていたのかもと疑いたくなるタイミングだ。
翌年になって今度は片倉さんの給料も下げると通告された。年収550万円から180万円ものダウン。3人目の息子が生まれたばかりの時期でもあり、40歳になっていた片倉さんは退職勧奨を受け入れた。入社から1年足らずのことだった。
1人目の採用マーケターとして。Jリーグ時代の知見と人脈を「レガシー産業」に注ぐ
いかにも不運だった片倉さんだが、現在の労働市場ではマイナスのキャリアにはならなかったようだ。転職サイトからすぐにスカウトメールが届いたのだ。高齢者施設などに食事提供サービスを行っている中堅企業からだった。本社は大阪で土日休み。「裁量権のあるマーケティングのポジション」という希望に沿い、給与水準にも納得できた。
「社会の高齢化によって業界自体が伸びています。毎年100人は新卒採用をしたいのですが、給食業界のイメージはまだまだ良くありません。採用には常に苦戦しています。そのイメージを変えながら社員の定着率も上げていくのが僕の仕事です」
人事採用担当の中でも「採用マーケティング」は新設のポジション。その1人目である片倉さんの上には本部長しかない。入社後すぐに採用に特化したSNSを始めた他、知名度が特に低い地域ではプロスポーツチームとスポンサー契約を結ぶ提案を役員会議でプレゼンして許可された。いずれもセレッソ大阪時代の経験と人脈が生きた。
「月に1回、役員会議で新しい企画を提案できる制度があります。社内のコミュニケーションを増やして定着率を上げるために、社内部活への補助制度も提案して採用されました。物事を自分なりに前に進めて、変化させることにこだわっています」
「夢は3人の子を育て上げること」。組織の中で精いっぱい働いて人の役に立つ
片倉さんには現場から学ぶ姿勢もある。全国に6つあるセントラルキッチンを訪問し、工場長一人ずつにインタビュー。採用サイトなどに記事をアップしつつ、自らも会社の現場業務の把握に努めている。実直に、「モチベーション」などに左右されず、自らの企画と行動で結果を出す――。リクルートとセレッソ大阪で得たプロとしての矜持なのだろう。加えて、ベンチャー企業で退職勧奨を受けた苦い経験も忘れていない。
「僕はもう40代です。会社には重たい存在なので(笑)、いつクビになるかわからないと思いながら働いています」
片倉さんの勤務先は30年以上の歴史があり、簡単に人員整理をするような企業風土でもない。それでも「いつクビになるかわからない」と覚悟するのは、自分の気持ちを常に引き締めるためだ。片倉さんはもう「ちょうどいい厳しさの職場環境」などは求めない。
あまりに前のめりで自律的な働き方をしている片倉さん。インタビュー取材後、カメラマンの花井さんが「夢は何ですか?」と問いかけた。起業する計画などを聞きたかったのかもしれない。片倉さんからは意外な答えが返ってきた。
「起業や自営などは考えたこともありません。3人の子どもを元気に育て上げることだけが夢です。住宅ローンも返さなくちゃいけませんしね」
やりたい仕事は特にないけれど、バリバリ働いて人の役に立つ。片倉さんの仕事人としてのロマンは未来にあるのではない、精いっぱいに生きている今ここにあるのだ。
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(撮影=花井智子)