何か仕事を進めるとき、前提や感覚が共有できていて、ツーカーで通じる組織は話が早い。逆にそれができないと「あの人はカルチャーが違う」と言うことがあります。しかし本来それは特殊な事情だったのではないでしょうか。自分の“当たり前”は相手の“当たり前”と同じとは限らない、それがダイバーシティということだからです。

企業の人材採用の現場に身を置いていると、割とよく耳にする言葉の中に「カルチャー」という単語があります。ごく一般的な単語ですが、人事採用の世界では例えば、こんなふうに使われます。

「いくら優秀でも、カルチャーギャップがある人は、採用しても結局機能しないから、避けておきたい」
「結局、パフォーマンスを出す人は、カルチャーフィットの高い人ばかり。逆はあまりないのです」
「大事にしたいのはカルチャーであって、単にやりたい仕事であるとか、給料が高いということだけではない」

……などなど。「それって企業文化とか職場風土ってことじゃないのか」という声が聞こえてきそうです。ほぼその通りだと私も思いますが、「ほぼ」と書いた通り、完全に一致しているわけではありません。

「職場風土」「企業文化」と「カルチャー」はちょっと違う

これはあくまで私の解釈ですが、「職場風土」とは、職場のハードウェア的な部分、ソフトウェア的な部分、両方を包含しているイメージです。一方で「カルチャー」は、もっとソフトウェア的な部分を中心にして「その企業にとっての“当たり前”」を表現している、そんな気がしています。

また「企業文化」という言葉と比べると、企業文化は、その企業の制度や明文化されたものを指す言葉であるのに対し、「カルチャー」はもう少し曖昧なものかもしれない、という感じでしょうか。。

カルチャーが「企業にとっての“当たり前”」の集大成だとしたら?

仕事に対する向き合い方を始めとして、時間の使い方、コミュニケーションの取り方、同僚との距離、社会的なコミットメントなど。カルチャーという言葉がカバーしているものを例に挙げればきりがありませんが、これらの多くは「これが正解」というものは特になくて、企業を始めとして、属している組織によってケースバイケースのものばかりです。

自分にとって“当たり前”だと思っていることでも、所属している場所が変われば、全く“当たり前”ではなくなってしまう。当然といえば当然なのでが、意外と忘れがちな視点です。

例えば、部下に仕事を依頼する場合「これは当然のことだろう」と思ってあえて言わなかったことが、相手にとってはそうではなく、意図が正しく伝わらなかった……というシーンはよくあります。こちらは当然だと思っているので、その説明は省略しますし、分かっているという前提で仕事を進めてしまいますが、部下はその部分が分かっていないのでボタンを掛け違えた状態になってしまう。結果として仕事が上手くいかないというケースは、他人事ではないという人も多いはずです。

企業はそういう齟齬(そご)が起きないように、カルチャーギャップのない人を揃えようとします。“当たり前”のズレを補正することによって発生するコストは意外にバカにできないからなのです。新卒採用を好む企業の中には「別の“当たり前”を持っている人に、新たな“当たり前”を植え付けるコスト」と「まったく“当たり前”がない人に“当たり前”を教え込むコスト」を天秤にかけると、後者が安いからだというところもあるくらいですから。

あなたの“当たり前”と違う“当たり前”を持つ人が“当たり前”の時代

説明をして理解を求める、そして、仕事を円滑に進める。このプロセスをある程度省略して、そこにかけるコストを削減することをそれこそ“当たり前”のことだとしてやってきた企業の中には、別のカルチャーで育った、いわゆる違う“当たり前”を持った人たちの受け入れに失敗して、結果的に人手が足りない、という現象がよく起きています。

「あの人は優秀だと思って採用したのに、結果的にうまく機能しない」というケースの原因を探っていくと、カルチャーギャップだった、というのがその本質です。

だから冒頭のカルチャーという言葉の使い方の例に挙げたように、そのギャップのない人を採用しようという動きになるのですが、当然ながらそういう人材はなかなかいない。人が足りない、どうしたらいいのか分からないといった状態だと、結果として、能力を優先し、少しのカルチャーギャップには、ある程度目をつぶって……ということになりがちです。

もしあなたが部下を持つ立場なのであれば、部下ときちんとコミュニケーションを取り、業務を円滑に進めることは最も大切な仕事の一つです。いくらまずい採用であっても、配属されてきた中途採用のメンバーが機能しなければあなたの責任になってしまう。違う“当たり前”を持ったメンバーとのコミュニケーションに対して、一定の労力をかける必要があると、改めて認識しなければならない時代がやってきているのです。

相手との違いが分からないマネージャーは生き残れない時代

ある会で、大手企業の管理職が自分の部下にこんなことを言っていました。

「部下に低い評価をつけるとき、一度目は部下に問題があるかもしれないので仕方ない。けれども、二度目はその部下を指導できなかった上司に責任があると考えるのが妥当だと思うよ」

皆さんも、部下や後輩たちの仕事ができないのは、彼らがダメだからだと押し付けてはいられない。だとしたら、相手が「分かっているだろう」という根拠のない信用を勝手にすることによって、コミュニケーションを省略するのではなく、相手は自分とは違うのだ、だから“当たり前”も違うのだ、という意識を持って、コミュニケーションを深める必要があるのです。

いろいろな人がいて、いろいろな“当たり前”がある。それがダイバーシティ(多様性)なのです。

ダイバーシティ・インクルージョン。ある種の多様性が企業やその組織に求められる時代になった以上、自分たちの“当たり前”を声高に主張し、相手との違いを理解しない管理職では、もはや生き残れないのですから。

サカタカツミ/クリエイティブディレクター
就職や転職、若手社会人のキャリア開発などの各種サービスやウェブサイトのプロデュース、ディレクションを、数多く&幅広く手がけている。直近は、企業の人事が持つ様々なデータと個人のスキルデータを掛け合わせることにより、その組織が持つ特性や、求める人物像を可視化、最適な配置や育成が可能になるサービスを作っている。リクルートワークス研究所『「2025年の働く」予測』プロジェクトメンバー。著書に『就職のオキテ』『会社のオキテ』(以上、翔泳社)。「人が辞めない」という視点における寄稿記事や登壇も多数。