ある時、気付いてしまった!

私が大学卒業後入った会社は、世界四大会計事務所の一つとされる大企業でした。仕事は楽しかったのですが、残業続きで週末もない忙しい生活でした。同僚と「次のボーナスで車を買う!」「私はマッサージ機!」などの話で盛り上がるのが息抜き。ある時、「自分の時間の99%を会社のために使っているけど、それによって私が成し遂げたいのは車を買うことじゃないはず」と気付いてしまったんです。

国連職員・田島麻衣子さん

そこからは自問自答です。思い浮かぶのは、大学時代にバックパック旅行で訪れたフィリピンのスラム街、スモーキーマウンテンで暮らす貧しい子どもたちのことでした。貧困から抜け出せない希望を失った子どもたちの、狂気をはらんだような目が繰り返し脳裏によみがえるのです。

あの子どもたちのために何かしたい。でも自分は何をすべきなのか、何をしたいのか? 考えてたどりついたのが、高校生のころからあこがれを抱いていた「国連職員」になることでした。

国連職員になるために必要なことは何かを調べた結果、当時の私には現場経験や語学、専門知識が足りないとわかりました。それらを補うため、まずは、海外の難民などを支援するNGO団体で働き、その後イギリスの大学院に行くことにしました。

上司に退職を告げると、普通は慰留しますよね。でも説明したとき、上司は止めなかったんです。「頑張れ」と言われました。止めようがなかったのだと思います。

同僚に「NGOに行く」と告げると、笑顔が引きつっていましたね(笑)。それまでも退職する人はいましたが、みんなMBA留学やキャリアアップが目的。今思えば、相当の異端児だったと思います。

“人”から“目的”へ視点を移す

NGOでの給料は、それまでの4分の1くらいになりました。不安はありましたが、自分で退路を断ってしまったので、走るしかありませんでした。

実は、「会計事務所に入ったりせず、最初から国連職員になるために頑張ればよかったのではないか」と後悔したことがあります。でも国連の面接で、面接官が私の経歴を見て「会計士の仕事をしていたなら、国連でも会計の仕事ができるわね」と言ったのです。遠回りをしたと思っていたけれど、国連への扉を叩いたときには、これまでの経験すべてが活きた。実は近道になっていたのです。

会計事務所でも国連でも、いつだって仕事は大変です。

国連世界食糧計画(WFP)に入り、ラオスの事務所に赴任したときは、特にその思いを強くしました。当時、20代後半でしたが、先輩職員をマネージャーとしてまとめることになりました。「私のことが嫌いなのでは?」「若い私を一人前に見てくれないのでは?」と不安な気持ちでいっぱい。なかなか信頼を得ることができませんでした。

でもあるとき、こうした「この人」対「私」という“個人と個人の関係”ではなく、同じプロジェクトの成功を目指すという“共通の目的”に視点を移すようにしました。すると、少しずつ信頼を得ることができるようになりました。

現場で経験した国連職員としての仕事は、高校生のときあこがれていたイメージとほとんど変わりませんでした。現地の人が、私の手をとって「ありがとう」と言ってくれたりすると、人の役に立っている実感がわいてうれしいものです。会計事務所にいたときは、監査人はある意味憎まれ役なので、「ありがとう」なんて言われたことがありませんでしたから。

今は、大変な思いをしても、必ず報われることを感じながら働いています。

The views expressed herein are those of the author and do not reflect the views of the United Nations World Food Programme.
本記事に記された見解は著者個人のものであり、国連世界食糧計画の見解を何ら反映するものではありません。

田島麻衣子(たじま・まいこ)
国連職員。東京生まれ。青山学院高等部、青山学院大学国際政治経済学部卒業後、KPMGに入社。オックスフォード大学院への留学などを経て、2006年より国連世界食糧計画(国連WFP)に勤務。これまでアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ラオス、アルメニアに日本を加えた7カ国に住んだ経験を持ち、共に働いたことのある同僚の出身国は、60カ国以上を数える。著書に人付き合いのコツと英語の学び方を伝える『世界で働く人になる』(アルク刊)がある。