オムツを替えながらでも頭は使える
都内のマンションの一室には、ハイハイする乳児と育児休業中のママたちが集合(パパも1名参加)。中にはママの膝で授乳中の赤ちゃんも。一見ママサークルのように見えますが、これは育休を利用した「育休を活用したMBA体験勉強会(略称:育休MBA勉強会)」です。
1歳未満の乳児を連れて、「慶応ビジネススクール公式などの本科的な教材を使って、MBAと同様に経営者視点で考え、ディスカッションする」ビジネススクールなんて、世の中にありますか? もちろん、ディスカッションしながらの抱っこ・授乳・オムツかえOKというスタイル。 「授乳しながらも、脳みそと眼と口は動かせるんだ」 と参加者は驚きますが、もともと女性はマルチタスク。プログラムを監修している静岡県立大学助教国保祥子さんは「男性だとこういう並行作業って難しいんじゃないかなと思うのですが、マルチプロセッサー脳の女性はこれでも十分に学習効果が上がるということがわかりました」といいます。キャリアの中断になりがちな育休を学習の機会にする画期的な取り組みです。
この日のケースは国保さんのオリジナルで女性が突き当たりがちな「壁」を疑似体験する「岡村課長と定時後のクレーム」。子育て中の女性が定時で帰ってしまった後に担当するお客様からのクレームを他の社員が対応することで、部署のモチベーションが低下していることに悩む中間管理職のケース。
当事者としての適切な振る舞いを考えるだけでなく、管理職視点で課題をとらえて対策を考えるような設問が設定されています。
参加者からはこんな声が。
「自分が管理職としてケースを読むと『ああ、私は上から見て使いづらい社員なんだな』と再確認しつつ(笑)、ではそんな管理職からの視線をどう『反転』させるかのアイディアを考えてディスカッションする場」 (黒田泰子、大手マスコミ、入社12年目、30代後半、子ども3歳0歳)
「制約のある人材だからこそ、積極的にコミュニケーションを取らないと、やる気や進捗、今の立場だからこそ見えることが伝わらない。今までなかった戦略的コミュニケーションの必要性が見えてきた」 と岡野美佳さん(大手外資系食品メーカー、30代前半、子ども3歳0歳)。
場所や時間に縛られない学びの場
そもそもこの勉強会はNPO法人マドレボニータの提供する産前・産後ボディケア教室で国保さんと知り合った岡野さんが「経営の勉強をしたい」と希望したので、慶応ビジネススクール出身の国保さんがプログラムを考え始まったものです。
これまで全10回開催、のべ97人が参加しています。(2014/11/9時点)。
しかし、場所や時間に制約される本来の学びの場とは違い、その柔軟さには驚くばかり。静岡在住の国保さんがスカイプでファシリテートすることも珍しくありません。
参加者は1人目または2人目の育休中の20代後半から40代の女性。産前休暇中の妊婦さんや3人目の方もいます。そろそろ中間管理職として、プレイヤーからマネジメントへの転換を求められる時期。すでに管理職の立場の人もいます。この研修で経営や管理職視点の面白さに目覚めたという声もたくさんありました。
「経営目線で考えることの難しさと、面白さを知りました。ひとつの内容でも、考える立場などによって、これほど違う見え方をするのかと! 育休をキャリアの中断ではなく、他分野の知識やスキル習得の期間にすることが出来ました。職場にも『レベルアップして帰ってきました!』って言えそうです」 (川内小百合さん、30代前半、医薬系サービス。12月に復帰予定。子ども0歳)
国保さんによれば、この勉強会の学習内容は以下の3点。
(1)管理職思考に移行するための挑戦課題
中原淳「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)の7つの挑戦課題を身に着けることで、プレイヤー思考から管理職思考にシフトすることを目指す。
●具体的な挑戦課題……[1]部下育成[2]目標咀嚼[3]政治交渉[4]多様な人材活用[5]意思決定[6]マインド維持[7]プレマネバランス
(2)女性リーダーに特有の挑戦課題
女性リーダーに特有の課題に対しても働くことを前提に解決策を考える問題解決思考を身につける。
(3)女性が直面する「壁」を疑似体験する
子育てをしながら仕事をしていることで陥りやすい苦境を事前に疑似体験しておくことで、いざというときに冷静に対処できるよう気持ちと環境を備えることができる。
“ママ友”を超えた関係
この勉強会を通じて、経営視点を身につけ、リーダーシップ人材へと進化し、また育休後、女性がくじけがちな課題を体験する前にクリアできる戦略を考えられます。
「ビジネススクールの本質は経営知識の習得ではなく、経営者目線での意思決定トレーニングであると考えていますが、この勉強会では残業ができないという制約を背負った子育て中の女性が当事者目線だけでなく経営者目線で、どのようにチームに貢献できるか、組織の成果に貢献できるかを皆で考えています」(国保さん)
そして、もう一つの目的が「両立生活を支えるネットワークづくり」。
「子が生まれると、幸せではあるけれど知的刺激は激減。大人と話をしたくてたまに児童館に行ってみても、そこで会うママたちは、働いているのか、どんな働き方をしたいかということから探り探り話題を選ばないといけない。結局、子どもの服とか髪の量とか当たり障りのない事だけ話して終わり。でも乳飲み子預けてビジネススクールに通うガッツと資金力はないです。オムツ替えたり、泣いてる子をあやしながら勉強できるところなんてほかにありませんもの」(外資系フォワーダー、30代後半。子ども3歳0歳)
「これだけ多様な業界で多様な職種の人達とディスカッションするのはそれだけで刺激になるし、学びも多いです。メンバーはもはや『ママ友』の域を超えて『同士』になっていると感じます」(栗林真由美 大手インターネット通信業、30代前半、子ども0歳)
国保さん自身、普段は男性に経営学、管理職研修をする立場なので、自分が母親になるまで子育て中の女性を経営資源として見ていなかったそうです。女性は経営や管理職に興味がない、仕事に対する意識が低いんだろうなとずっと思っていたぐらいです。
「でも、この勉強会をしたら全くの誤解だった。最初はできていなかったのに、回を重ねるごとにその成長は著しく、時短者の扱いを経営合理性から判断するということもできるようになってきました。これは宝の山を掘り当てたなあというのが今の気持ちです」
宝の山は目の前にある
女性が「意識が低い」のではなく、それはあくまで職場の環境次第。
国保さんは続けます。
「『うちの会社の女性は意識が低い』は、経営者次第で回避可能な問題だということです。皆さん仕事に対する意欲は非常に高いということがわかりまして、これは大きな誤解でした。かつ制約を抱えた身になるということで、自分の人材としての価値をあげて経営に資する存在にならなくてはいけないという危機感もある。確かに残業はできないけれど、経営者にとってこんなに貴重な経営資源はないんじゃないか、と今は思っています。ただその制約の条件を企業側が正確に理解できていない、特に企業の環境整備で解決できるものが多いということに気づいていない企業が多いし、女性側も責任感が強いがゆえに仕事と子育てとをどれくらいうまく両立できるか確信が持てない状況で仕事を引き受けることにはためらっている。そこのミスコミュニケーションを正し、お互いWIN-WINの状況に持っていくための手段が、この『育児休業中』の『経営者思考のトレーニング』なのかなと感じています。女性は育休期間を学習機会に、企業は子育て女性の制約を考慮した環境整備をすることで、宝の山にアクセスすることが出来ますよ!! と伝えたいですね」
安倍政権の「2030」の掛け声はありますが、「うちの会社での女性管理職人材はそもそも3割もいない」「女性が管理職になりたがらない」という声をよく聞きます。そもそも女性人材がいないのは、ちょうど管理職への道を歩み始める30代年代が子育て期と重なり、辞めてしまうか、降りてしまうから。
しかし、この勉強会に参加しているような「モチベーションが高い」ママたちは実はたくさんいます。疑似体験したことで「プレイヤーからマネジメントへのおもしろみ」を感じ、管理職人材へと進化する。しかもその管理職人材とは、これから「女性だけでなく介護や子育て中の男性、外国人」なども含むダイバーシティマネージメントができる貴重な人材です。イクボスを育てる試みはありますが、育休中の当事者を「イクボス」人材とする教育は今までなかった。この勉強会には大きな可能性を感じました。
育休を活用したMBA体験勉強会(育休プチMBA)
http://kokubo.seesaa.net/article/408596915.html
私もKBSのケースメソッド教授法の授業を受け、「女子大生のキャリア教育にケースメソッドが使える」と思っていたところに、国保さんがこの勉強会を主宰していると聞きました。その後、2人で女子大生用のケースを開発し、私の研究会でトライアル勉強会を開いたところ、「女子大生のキャリア教育にもケースメソッドが使える」という確信ができました。今ケースを開発中です。
U28 Girls’*Lab 女子大生のキャリア教育ケースメソッド
https://www.facebook.com/girlslab28
少子化ジャーナリスト、作家、相模女子大客員教授
東京生まれ、慶応義塾大学文学部社会学専攻卒。婚活、妊活、女子など女性たちのキーワードについて発信する。山田昌弘中央大学教授とともに「婚活」を提唱。婚活ブームを起こす。女性のライフプラン、ライフスタイル、キャリア、男女共同参画、女性活用、不妊治療、ワークライフバランス、ダイバーシティなどがテーマ。講演、テレビ出演多数。経産省「女性が輝く社会のあり方研究会」委員。著書に『女子と就活』(中公新書ラクレ)、共著に『妊活バイブル 晩婚・少子化時代に生きる女のライフプランニング』(講談社+α新書)など。最新刊『格付けしあう女たち 「女子カースト」の実態』(ポプラ新書)。