葬送のスタイルや価値観が多様化している現代。だが、こういう時代だからこそ墓のもつ意味に立ち返り、家族の歴史を末永く語り継ぐシンボルとして、墓の存在が再びクローズアップされている。全国優良石材店の会会長と、「いい仕事してますね」の決めゼリフでおなじみの中島誠之助氏が、お墓について語り合う特別対談が実現した。
墓がつなぐ
わが家の過去と未来
中島 私の先祖は父方は信州、母方は浅草でね、両親の墓は浅草にあるんです。そこに彫られた最初の年号を見ると「嘉永4年」とある。1851年ですから、黒船が来る2年前。その墓を建てた先祖を詳しく知るわけではありませんが、おそらく貧乏御家人だったんだろう、粗末な墓ですよ。でも私は、正月には墓参りをする。150年以上経って、いまだに先祖として尊んでいるわけです。
吉田 「墓とは何か」を考えると、墓前に額ずいて報告し、感謝し、反省し、あるいは家族の歴史を語り継ぐ、あるいは先祖を敬う気持ちを育む場所だと思うんです。まさに、そうした“墓”を感じていらっしゃるわけですね。
中島 だから私は自分の代で、自分の墓をつくりましたよ。父方のほうの、長野県の出身地名も墓の裏に彫りました。私が死んでしまえば子供や孫、ひ孫たちは「いったい、わが中島家はどこから出たのかわからない」となってしまう。でも私の墓の後ろを見れば、出身地が書いてあるわけですよ。将来、子孫の中に物好きが出て、新幹線に乗って調べに行くのもいいじゃないですか。
吉田 まさに、それこそが墓だと思うんです。もし、それがなかったら、先生のお孫さんなり、その先の人は、先生とふれあうことができません。
中島 つながりが、まったくなくなってしまいますね。私が30~40代の頃、中国は文化大革命の半ばから後半という状況でしたが、西安の碑林へよく行きました。そこは春秋戦国時代からの中国歴代の石碑をコレクションしている。そこに、おびただしい文字が彫ってあるんです。古代の隷書から、金石文、王羲之……。それを見て「文字というものは紙に書くものではなく、石に彫るものだ」と思いましたね。石に彫って残さなければ、字は当世に伝わりませんでした。そういう目で私は墓を見ているんですよ。だから墓石の字というものは「なんでもいい」というわけにはいきません。私は自分の墓の字は、自分で書きましたよ。墓石の文字くらいは自分で書くべきだ。あるいは、書家に書いてもらうのもいい。
吉田 じつは、同じような考えを持つ方がいま、けっこう増えているんです。おじいちゃんやおばあちゃんが書いた字をそのまま彫るといったケースもあります。
中島 明治に生きた人々の石碑を見るとね、乃木希典が書いたり、板垣退助が書いたり、現代では吉田茂が書いたりしているじゃないですか。それが私は文化だと思う。うまい下手はさておき、「いい字だな」と思うじゃないですか。
吉田 本当ですね。