「日本の先生は子どもに厳しすぎる」という感想もあった
――「子どもたちの等身大の姿に感動した」という声も多いですね。
【山崎】あやめちゃんを筆頭に、子どもたちの成長をリアルに感じられるという評価もありました。でも、絶賛だけではありません。なかには、「先生が子どもに厳しすぎるんじゃないか」という声もありました。それは、教育を「子どもがみずから考えるもの」として観た人が多いからで、私自身、日本の教育が全部良いというスタンスではないんです。
――それはどういうことでしょう。
【山崎】映画の中ではあやめちゃんが楽器の練習をする中、壁にぶつかって、乗り越える姿が出てきます。私自身、小学校の音楽会や運動会、文化祭などの行事ごとに、いろいろなことで壁にぶつかり、それを乗り越えて、「もっといけるよ」と導かれて、そこでもっと頑張ってみたら楽しい景色が待っていたという経験をしました。けれども、学校に行けない子たちもたくさんいる中、役割を与えて努力を求める日本的な教育の危うさももちろんあると思います。ただ、私は壁を乗り越えた結果、今の自分がいて、自分のことを信じてくれた大人たちがここに導いてくれたと思っているんです。
日本の公立小学校を卒業、その後アメリカへ行き気づいたこと
――山崎監督は公立小学校を卒業した後、中高はインターナショナルスクールに通い、19歳で渡米したそうですが、日本の教育の息苦しさみたいなものも感じたのでしょうか。
【山崎】そうですね。自分はいわゆるハーフだったので、自分だけ周りの子たちと違うと感じながら過ごした小学校時代でした。特に低学年の頃は「英語をしゃべってみてよ」とからかわれたり、同じ街、同じマンションに住んでいるのに、どう頑張っても自分だけ違って見られることに対して違和感がありました。でも、アメリカの大学(ニューヨーク大学映画制作部)に行って何年か経った頃、日本の公立小学校、日本のインターナショナルスクール、アメリカの大学と、環境をがらりと3回変えてきた自分をどう生かせるか、見つけることができたんですね。
――そこで見えてきたのはどんなことでしたか。
【山崎】まず、教育システムを3回変えたことで対応力がつきました。19歳で日本を出た理由の一つには、やはり日本を息苦しく感じ、世界が広く輝いているように見えたことはありました。自分が活躍できる場は日本じゃないと思っていた時期もありました。でも、当時は日本の良さに全く気づけていなかった。例えば、電車が時間通りに来ること、他者への思いやりや配慮があることが普通過ぎて、それをすごいと思えたことがなかったんです。でも、海外に行って初めてそういう日本の良さに気づいて、自分のアイデンティティや考え方の原点に日本の小学校があると思ったんです。



