侵攻をきっかけに憧れの日本に留学
2022年2月にロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が始まり、多くのウクライナ人が国内外への避難を余儀なくされている。2024年3月現在、日本に暮らすウクライナ避難民は約2000人。
日本で暮らすウクライナ避難民への支援を行う日本財団が実施しているアンケート結果(第5回)によると、避難民に帰国の意思や希望を尋ねたところ、「できるだけ長く日本に滞在したい」「ウクライナの状況が落ち着くまでは日本に滞在したい」と、日本にしばらく住むことを望む回答が、合わせて72.9%にのぼった。
「戦況が見えないため、日本で就職して自立したい」「ここで成長し、自己実現したい」といったコメントも見られる。
一方、働いているかどうかを問うと、「働いていない」は52.8%で、「働いている」の47.2%を上回っている。また働いていても、「パートタイム」74.5%、「フルタイム」25.5%と、パートタイムが圧倒的多数。
言語や文化の壁によって思うように働けない、働いていても望む働き方ができていないといった、避難民の姿が浮き彫りになっている。
そういった壁を乗り越えて、2023年4月から東京の総合建設コンサルタント会社、八千代エンジニヤリング株式会社 海外事業部で正社員として勤務しているのが、ウクライナの首都キーウ出身のペトロヴァ・エリザベータさんだ。ペトロヴァさんは、ここに至るまでの経緯をこう話す。
「私はキーウ国立言語大学で、日本語学科に所属していました。アニメなどをきっかけに日本に関心を持ち、大学1年生のときから日本語を勉強していて、いつか日本に留学したいと思っていましたが、2022年2月、大学4年生のときに侵攻が始まったことで、その機会が突然やってきました。福岡県の日本経済大学が、私を含めたウクライナの学生約70人を受け入れてくれたのです。避難という形で来日したので複雑な思いもありましたが、日本語をツールとして活かしながら、日本とウクライナに貢献したいと思っています」
いざ活動を始めて驚いた、日本特有の就活文化
ペトロヴァさんのように来日したウクライナ避難民2000人への支援を行う日本財団は、日本へ避難する際の渡航費及び生活費等の支給の他に、日本語を学ぶための日本語学校奨学金や、就職相談窓口の開設といった、自立に向けての支援も行っている。就職支援については、日本における就活・就職の特徴を伝えるセミナーや履歴書の書き方、面接の受け方といった具体的なスキルを身に付けるオンライン講座などを実施。
見事内定を勝ち取り、日本財団が主催するセミナーでも「先輩」として就活や日本企業で働く体験談を話したこともあるペトロヴァさんだが、いわゆる日本の就活には戸惑ったと言う。
「日本では大学3年生から就職活動を始めますが、ウクライナではそういった活動をすることはありません。大学を卒業したら、そこから職を探し始めます。私が日本に避難したのは大学4年生のときで、まずは日本の生活に慣れることで精一杯でした。就職活動をするには遅すぎましたが、大学には、ウクライナ留学生をサポートしている先生がいらして、その先生から日本の就職事情やウクライナと日本の働き方の違いなどを教えていただき、面接の練習もしていただきながら、自分のペースで焦らず就職活動に取り組みました」
以前は、漠然と日本語に関係する仕事をしたいと思っていたと言うペトロヴァさん。しかし戦争によって価値観が変化し、「他の人の役に立ちたい」「海外支援に携わりたい」という気持ちになってきたそう。北九州のJICAに見学に行ったことから、JICAへの就職を考えたこともある。そんなときに八千代エンジニヤリングに出会った。
「大学で留学生向けの会社説明会があり、いろいろな会社が来てくださっていました。そのときに八千代エンジニヤリングではウクライナ支援の仕事ができそうだと知って、私にぴったりだと思ったのです。これならウクライナの役に立てるし、日本との懸け橋にもなれると希望を持ち、建設コンサルタント会社である八千代エンジニヤリングに応募しました」
ウクライナ人を雇う意義は大きい
ペトロヴァさんが面接を受けたのは、2022年10月。すでに新卒の応募と内定は終わっていたが、「ペトロヴァさんへの期待値から採用を決めた」と八千代エンジニヤリングの執行役員 兼 海外事業部 事業部長の藤井克巳さんは話す。
「当社の海外事業部は、JICAを中心としたODA業務を主軸にしています。特にグローバルサウス支援に力を入れています。中央アジア・東欧地域ではカスピ海ルートの物流を改善するための調査を実施しています。また、今後展開が予想されるのが、ウクライナの復旧・復興プロジェクトです。今、戦争でどんどん壊されているインフラを、再興しなければいけない。これからウクライナでの仕事を実施するにあたって、懸け橋となるウクライナ人の力は大きい。そのときに日本経済大学の先生から紹介されたのが、ペトロヴァさんでした」
ペトロヴァさんに初めて会ったときの印象はどのようなものだったのだろうか?
「面接で話を聞いてみると、日本で働きたい気持ちがある、グローバルサウス支援にも興味を持っている、これなら当社でも十分にやっていけるだろうなと思いました。またウクライナの侵攻がホットな話題となっている今、当社としても、いわゆる避難民と呼ばれる人と雇用契約を結び、就職してもらうことの意義は大きいと感じていますし、社員の意識アップにもなっています。これからウクライナの仕事をどんどんやっていこうという、ムードづくりにもつながっています」
そしてペトロヴァさんは2023年4月に入社し、新卒研修を経て7月に海外事業部に配属された。そこから約半年、ペトロヴァさんの働きぶりについて、同事業部の先輩社員、金子花観さんはこう語る。
「JICAの仕事がメインになりますので、最初はJICAに関する基礎的な仕事内容を教えました。日本語がすごく堪能で、読み書きもすべてできる。どんな資料を渡しても理解できるので、日本人の新卒社員と全く変わらないですね。むしろ、日本語だけでなく、ロシア語、ウクライナ語、英語の4カ国語が喋れるので、大きな戦力です。つい先日も中央アジアの案件で1カ月間、カザフスタンからアゼルバイジャンの調査チームの一員として参加し、通訳をはじめ、車やアシスタントの手配など、すごくよい働きをしてくれました」
性格は、どこか日本人に通じるところがあるように感じると言う。
「穏やかで控えめ。日本の環境や会社の雰囲気にすぐに慣れてくれて、仕事の上では文化の壁というものを感じていません。順応性がすごく高いですね」
ウクライナ人は皆、ペトロヴァさんのように順応性が高いのだろうか。ウクライナ人の国民性について聞いてみた。
「もちろんウクライナ人の性格は人それぞれです(笑)。でも、すごく厳しい環境でも頑張れる人が多いと思います。この侵攻の経験を踏まえて、前向きに努力していこうという姿勢はより強く感じますね」
ウクライナ出身として自分の力を活かしたい
そんな“頑張れるウクライナ人”として、日本の企業で働くペトロヴァさん。実際に仕事を始めて、どのように感じているのだろうか。
「日々、入札のプロポーザルや契約関係の書類の作成といった仕事に従事しています。その中で専門用語がたくさん出てくるので、それの理解に難しさを感じることはあります。仕事をしながら、そのつど調べたり、先輩に聞いたりして勉強しています」
最後に今後、どうなっていきたいか、将来像やビジョンについて聞いてみた。
「今はウクライナだけでなく、世界中が不安定な状態で、ODAの仕事の重要性はすごく感じています。だから、これからもこの仕事を続けていきたいですね。実際、海外出張に行ってみて、移動や予定変更が多く、臨機応変な対応の難しさも感じましたが、すごくやりがいもあったので、これからも頑張っていきたいです。今後ウクライナの復興に関わる案件では、ウクライナ出身としての自分の力も活かしたい。語学だけでなく、現地の知識もあるので、それを役立てたいと思っています」
そんなペトロヴァさんを「ウクライナに限らず、いろいろな国で活躍してほしい」と藤井さんも金子さんも期待を寄せる。日本の企業でキャリアの第一歩を踏み出したペトロヴァさん。ウクライナ人として世界を舞台に活躍する日も、遠い未来ではなさそうだ。
もちろんペトロヴァさんのように日本語が堪能な避難民はまだ多くはない。しかし、日本に暮らす避難民は、日本財団などの支援を受けながら、将来的な自立を目指して言語の習得などに努めている。日本の企業でも活躍できる素養を身に付けることで、ビジネスシーンで活躍する場が増えることも期待できる。グローバル人材を求めている日本の企業にとっても、ウクライナ人の雇用は事業拡大の契機にもつながっていくだろう。