捨てるしかない電力でグリーン水素を製造
【菊川】山梨県というと私は、ドラマのロケで伺ったときの美しいブドウや桃の畑のイメージがあります。
【長崎】山梨県は農業県でもありますからね。ただブドウ栽培も地球温暖化に直面していて、標高が低い地域では、だんだん作りづらくなっているんです。
【菊川】クリーンエネルギーにも関わってくる問題ですね。
【長崎】ええ。本県では、地球温暖化を阻止するため、CO2を出さない取り組み、とりわけ再生可能エネルギーで生産する「グリーン水素」の利用を推進しています。
【菊川】テレビ番組のお仕事でアイスランドを取材したことがありますが、電力のほぼ全てを水力と地熱という再生可能エネルギーで賄い、さらに自動車などに使用する化石燃料も水素エネルギーに移行しようと計画していました。恵まれたエネルギー環境をうらやましく感じましたが、日本でも水素社会の実現に向けて始動しているのですね。
【長崎】国ごとに事情は異なるものの、世界が目指している方向は、再生可能エネルギーの拡大と脱炭素化ですから。
【菊川】カーボンニュートラル社会において、水素はどのような役割を期待されているのですか?
【長崎】これまで脱炭素化における大きな課題は、「製鉄や火力発電などで大量に必要な熱源をどうするか」でした。P2Gシステムがつくり出すグリーン水素は、天然ガスなどの化石燃料の代替として、熱エネルギーの利用の大きい工場の脱炭素化を推進できます。
【菊川】グリーン水素はどのようにしてつくられるのでしょうか?
【長崎】水を分解してつくるのですが、主に二つの方法があります。一つはアルカリ型水電解法という、水酸化カリウムの溶液を使う方法で、福島県内で研究が進められています。もう一つが山梨県と民間企業が共同で研究してきた、固体高分子(PEM(※))型水電解法と呼ばれるものです。高分子膜を使って水を電気分解して水素を発生させる方法で、電力の変動に機敏に追従でき、太陽光や風力など、気象条件で発電量が変動する再生可能エネルギーと相性がいいんです。
※Polymer Electrolyte Membrane
メガソーラー施設は北海道や九州に多いのですが、特定の地域に集中しているため電力系統で受け入れきれず、晴れているのに発電ができない「出力制御」が問題になっています。貴重な再生可能エネルギーを捨ててしまっているようなものです。
P2Gシステムを用いて、太陽光パネルから生まれた電力のうち、変動する部分を利用して水素を生産することによってその部分は安定した電力源に変身させられます。それにより現在は太陽光や風力などの電力の受け入れ余力が十分でない地域でも、より多くの再生可能エネルギーを電力系統内で活用できるようになります。水素製造のコストの多くを占めているのは電力ですので、捨てるはずの電力を安く調達できれば、グリーン水素の生産コストを下げられる可能性があります。この優れたエコシステムを「やまなしモデルP2Gシステム」と呼んでいます。
企業や自治体と協働し水素社会の実現を目指す
【菊川】生産コストが下げられれば、水素社会の実現も見えてきますね。なぜ山梨県は水素に注目したのですか?
【長崎】もともと山梨県は1957年から県として水力発電を事業化し、日照時間が長いという特色を生かして太陽光発電にも早くから取り組んできました。また、山梨大学には78年にわが国初の燃料電池実験施設が設けられるなど、本県は再生可能エネルギーの先進県なんです。
そうした下地があったことで、再生可能エネルギーを捨てることなく有効利用するための貯蔵手段として水素に注目し、「本県の強みである水素・燃料電池技術が再生可能エネルギーの導入拡大に向け大きく貢献できるのではないか」という機運が高まりました。
【菊川】水素活用の事例としては、どういったものがありますか。
【長崎】県内では、国内最大規模となる16メガワットのP2Gシステムを、北杜市にあるサントリー天然水 南アルプス白州工場およびサントリー白州蒸溜所へ導入することが決まっています。2025年稼働開始の予定で、ペットボトル飲料の殺菌処理やウイスキーの蒸溜に必要な熱源をグリーン水素で賄うだけでなく、周辺の地域にも供給し、地域全体として「水素タウン」構築を目指しています。
22年には国内初のP2Gの専業企業「やまなしハイドロジェンカンパニー(YHC)」も誕生しました。水素によるエコシステムを広める挑戦は、難しいことだからこそ官主導で進めていく必要があると考えますが、いずれ民間主導にしないと持続していきません。新会社は山梨県と、固体高分子膜を開発した東レ、東京電力との合弁企業となっています。岸田総理大臣や経産大臣、環境大臣などもP2Gシステムの視察に来られました。東京都、福島県、群馬県などとの連携も始まっています。
【菊川】他県とはどんな取り組みを?
【長崎】福島県では25年度に新設するガラス工場にP2Gシステムを導入し、水素と同時に産出される酸素もガラス製造に利用する計画が進んでいます。
東京都とは有明の東京ビッグサイトに23年5月から山梨県産グリーン水素を供給しています。YHCではP2Gシステムの小型化の研究も進めており、それが進めば、東京のような人口集中地区であっても、あちこちに小型のやまなしモデルP2Gシステムを設置して、水素を生産することができるようになるでしょう。
【菊川】日本でも街中で水素ステーションを見かけるようになりましたが、そのうち水素の製造装置も見かけるようになるかもしれませんね。
【長崎】ええ。PEM型は危険物を取り扱う必要がないですし、オペレーションも簡単なので、導入しやすいんです。
他の自治体との協働で、山梨県の取り組みを全国に広げ、ゆくゆくはYHCの「Y」が「J」に変わるぐらい大きく成長していければと考えています。
P2Gシステムで山梨県が世界を変える
【菊川】今後については、どういった展望をお持ちですか。
【長崎】P2Gという技術は、脱炭素化を目指す世界の動きを大きく変える可能性があると考えています。23年度だけで20を超える国と地域からの視察を受け入れました。インドネシアとインドではP2Gシステム導入に向けた動きがもう始まっていますし、ベトナムのファム・ミン・チン首相からは、「技術協力ができないか」というお話を頂いています。ブラジル、韓国なども強い興味を示していて、世界の関心の高さをひしひしと感じています。
【菊川】水素の分解において、山梨県は日本だけでなく、世界のトップランナーでもあるのですね。
【長崎】山梨県は「挑戦」をとても大切にしていて、水素関連の企業も「山梨県は事業がしやすい」と言ってくれています。水素は正しく使えば安全なエネルギーですが、危険だというイメージもあり、水素関連施設を造るのに地元の理解を得ることが大変だという声を聞いたことがあります。しかし、山梨では県民がP2Gの取り組みを誇りに思っている面があり、「どうぞ来てください」という姿勢です。
【菊川】県民の皆さんの応援があると、企業もやりやすいでしょうね。
私は3児の母であり、子どもたちが希望を持って楽しく未来に進んでいけるかということが大きな関心事です。日本はエネルギー資源が非常に少ない国です。でも、そこで諦めることなく、日本が得意とする技術で、山梨県がリーダーシップを発揮することで「サイエンスには世界の未来を変えていく力があるんだ」と見せてほしいですね。
【長崎】私は山梨県を、地球環境を良くしていくための発信地にしていきたいと思っていますし、それがミッションとも考えています。山梨県は古来「甲斐の国」と呼ばれてきましたが、最近はそこに「開」の字を当てて、「開の国」と言っています。性別も国籍も関係なく、多様なバックグラウンドを持った人たちが山梨に集い、イノベーションを起こす地域にしていきたい。グリーン水素をそのきっかけにしたいと考えています。