一切の過不足がなく実用的で、なおかつ美しい。
この文字盤はグランドセイコーとは何かを物語るようだ。

時計の文字盤はブランドのアイデンティティーを映し出す鑑といっても過言ではない。ケースやバンドに比べて制約が少なく、表現の自由度が高いからだ。古典的な装飾を施すブランドがあれば、オープンワークで内部機構を見せるブランドもあり、文字盤は各ブランドのポリシーが最も現れる部分だといえる。

中村範昭さん
セイコーエプソン、ウォッチ事業部W文字板工房所属。1989年入社。文字盤、略字、針など時計の顔となる部品製造を統括。最終出荷検査も行う。

「外観無欠点が品質基準です」

と話す中村範昭さんはグランドセイコー(以下GS)の文字盤製造を取り仕切る人物。無駄がなく必要最低限の部品からなる文字盤だからこそ困難が尽きないという。

「シンプルだからこそわずかなズレが目立ってしまう。GS=品質という共通認識でやっているので、針の長さや略字(インデックス)の幅、目盛りの印刷など、すべてコンマ1ミリの精度です。また略字は手作業で植字するのですが、脚を差し込む穴はわずか0.21ミリ。一度で植え込まないと文字盤に傷が付くので熟練技術が必要。GSの顔はシンプルですが細部には職人の技が詰まっているのです」

テンパー(青焼き)針の加熱時間は職人の経験と勘が頼りとなる。

ほかにも文字盤は深みを与えるために原材料に銀メッキ処理を行ってから模様を施し、テンパー(青焼き)針は形状によって加熱時間を変えるなど部品製造へのこだわりは例に事欠かない。もちろんこうした技術やノウハウは自然に培われたわけではなく、その契機となる出来事があった。それが1980年代後半、セイコーがクオーツの最高峰を目指して腐心した「9F」ムーブメントの開発だった。

「視認性の議論をしていた頃、会議終了後に外に出ると夕暮れ時だったのですが、初代のGSは夕闇の光でも時刻が読み取りやすかった。そこから『夕暮れ時のバス停でも時刻が読み取れる』というコンセプトができ、試行錯誤の末に現在の品質まで到達しました。開発当時、GSの略字のカット角は基本的に22.5度とされていましたが、それはその角度が一番光を受けやすいからなのです」

時刻を表示するという時計本来の役割と真摯に向き合った文字盤づくり。実用性を追求するGSのポリシーがここにも見て取れる。

さて、5回の連載でGSの時計づくりを追ってきたが、実用時計の最高峰という現在の地位にいたる大きな転機となったのは、やはり9Fの開発だろう。一般的なクオーツと同語でくくるのも憚られるほど別格の9Fを旗印として、全製造部門が一貫して最高品質を追い求めたこと、そしてその姿勢を絶やすことなくより確たるものへと育んできた時計づくりの“年輪”にこそ、GSが最高峰に位置し続ける理由がある。GSへの情熱を持つ人が途絶えぬ限り、GSの進化も終わることはない。

圧銀放射という特殊技術が文字盤に奥深い光沢感を生み出す。略字やブランドロゴはすべて手作業で植字される。

 

「グランドセイコー」(SBGX063)。

 

深みのある文字盤や丁寧にカットされた略字。これほど手の込んだつくりのクオーツ時計は多くない。GSの方向性を決定づけたムーブメント「9F62」を搭載。


ケース、ブレスレットともにステンレススチール。
ケース径37mm。
クオーツ。
21万円

 

 

Series グランドセイコー物語<全5回 index>

第1回 合言葉は「100年後」
第2回 「1つ上」の使命
第3回 「美」に近道はない
第4回 「シンプル」のすごみ
第5回 「コンマ1」の必然

(構成・文/デュウ 撮影/山下亮一)