資産家でなくてもなぜ遺言が大切なのか

「相続対策は必要を感じた時には間に合わない」。私が税理士としての関与先にいつも申し上げているのはこのことです。早めの準備が大切です。

吉澤 大
Masaru Yoshizawa
税理士
1967年生まれ。明治大学商学部卒業、國學院大學大学院経済学研究科博士前期課程修了。94年に26歳で吉澤税務会計事務所を設立。相続や事業承継、資産税に強い税理士として首都圏を中心に活躍。『会社の財務』『つぶれない会社に変わる!社長のお金の残し方』など著書多数。

とはいえ、実際に早くから準備するのは簡単なことではありません。専門家である私自身も、相続当事者としては後手を踏んでしまいました。会社経営者だった父ががんで余命半年と宣告された時には、準備期間が足りずに相続税の節税対策をするどころではありませんでした。そもそも病に苦しんでいる父に「相続税対策のためにこういうことをしたい」と持ち掛けるわけにもいきません。

円滑な相続のためには、私のケースのように被相続人が深刻な病を得てしまってからではなく、早い時点でまずは遺言を準備しておくことが大切です。ただ、親が元気なうちとはいえ、ストレートに「遺言を書いてほしい」と迫るのは現実にはかなり困難です。そこで、次のような「最初の一歩」を踏んでおくことをお勧めします。

まずは知人からの伝聞や雑誌記事などの情報を例示しながら、家庭内で相続を話題にするための下地をつくり、その上で、小さくても具体的な準備を始めるのです。例えば「◯◯さんのお父さんが突然亡くなったけど、家族は銀行口座も生命保険も全然分からなくて、大変だったらしいよ」。このように持ち掛けることができれば、保険証券や銀行の通帳、証券会社の取引記録などを、とりあえずクリアホルダーにまとめておくという対策に移れます。

最近は証券会社にしても銀行にしても、ネット中心になっているので、亡くなった時、故人の手元に通帳や証書がないことが少なくありません。クリアホルダーには口座などの一覧表を入れておくことも必要でしょう。

見落としがちなのは各種のサブスクリプション・サービスです。何に加入していたのか分からずに放置していると、どんどん会費が引き落とされてしまいます。これも全部書き出して一覧にしておくのがいいでしょう。

ここまできたら、遺言作成に踏み出すことも難しくはないはずです。

ところで、なぜ遺言がそんなに重要なのでしょうか。相続税対策という側面があるのも事実です。しかし、現実に相続税の対象になるのは「100人亡くなったうちの9人だけ」といわれています。つまり相続税対策は9割の人には関係がないのです。

その一方、亡くなった方の遺族全員に必要なのが円滑な遺産分割のための対策です。私の経験上、遺産総額5000万円くらいの相続が一番もめるのです。というのも、現預金などの金融資産ならきれいに分けられますが、不動産は簡単には分けられません。特に問題なのは「資産らしい資産が自宅しかない」場合。よくあるのは親と同居していた長男が自宅をもらう代わりに、現金を用意して他の兄弟姉妹に渡すという、金銭による代償分割です。

長男にしてみれば、自分の暮らしている家を改めてお金を出して買い取るような感覚です。それで丸く収まるならいいのですが、トラブルに発展するケースが少なくありません。遺言によって兄弟姉妹の相続分などをあらかじめ決めておくことが、無用のもめ事を避けるためには必要なのです。

超高齢社会の到来により、相続以前に問題になるのが高齢者の認知症です。認知機能が失われれば商取引ができなくなり、本人名義の預金口座などは凍結されてしまいます。そうならないように、認知症になる前の対策が必要なのです。

利用できる制度としてまず挙げられるのが「家族信託」です。認知症の発症などに備えて家族に財産の管理を任せる制度で、それには認知症になる前の契約が必要です。もし認知症が進み認知機能が失われてしまったら、財産を動かすには成年後見人を立てるしか選択肢がありません。しかし、後見人になれば膨大な事務作業などを担わなくてはならず、一般の人には負担が大きすぎます。やはり意思確認ができるうちに手を打つべきでしょう。

登記義務化だけではない! 不動産相続の注意点

相続税とは無関係の世帯でも、相続を意識しておかなくてはいけない理由は他にもあります。一つは「不動産相続登記の義務化」です。民法と不動産登記法等の法律改正により、2024年4月からは相続した不動産について相続登記が義務化されることになりました。遺産分割協議が成立してから3年以内に登記申請をする必要があり、怠ると10万円以下の過料を課される可能性があります。

これまでは不動産を相続しても登記するかどうかは任意であったため、所有者不明の土地が少なからず存在します。土地利用に支障が出ている現状を改善するための法改正です。今後は一連の相続手続きの中に、不動産登記も加わることになるのです。

相続による不動産登記にも費用がかかります。また、山林など使い道のない土地を相続しても困るので、「いらない」と思う方も多いでしょう。23年4月からは、相続したものの不要な土地を国に引き取ってもらう「相続土地国庫帰属制度」が始まりました。

ただ、どんな土地でも引き取ってくれるわけではありません。まず「建物がない」「境界が明確になっている」等の要件を満たしているかどうかの審査があり、その費用が土地一筆当たり1万4000円かかります。審査に落ちれば引き取ってもらえず、通ったら今度は国に負担金を納めなければなりません。負担金は20万円が基本ですが、面積等の条件により増えることもあります(図版参照)。自分が不要な土地を相続した場合にどうするか、今のうちから考えておくといいでしょう。

土地関係では他にも、空き家の売却や再利用を促進するため、これまでは宅地の6分の1に減税されていた空き家の固定資産税を、宅地並みに引き上げる動きがあります。23年6月に、管理が不十分とされる家屋は「管理不全空き家」に指定され、「固定資産税等の住宅用地特例」の対象から外される改正法が成立したのです。親が亡くなり、住む人がいなくなった家を相続した人は注意が必要です。

最後に、今年度の相続税法改正について触れておきます。

使いやすくなる相続時精算課税制度

23年度税制改正大綱で、暦年課税制度の生前贈与加算と相続時精算課税制度に大きな変更がありました。暦年贈与とは「年110万円までの贈与は非課税」という税法の決まりです。

ただし税法上、相続開始前3年以内の贈与については、贈与した財産も遺産に加えた上で相続税が計算されます。令和6年の贈与から、その期間が相続開始前7年間まで、段階的に延長されていくことが決まりました。

相続時精算課税制度とは、これを利用すれば、60歳以上の父母、祖父母から18歳以上の子ども、孫への贈与について、累計2500万円までは贈与税がかからない、というものです。今回の改正で、24年1月以降に相続時精算課税制度を利用した場合に、これまでの累計2500万円の枠とは別に、毎年110万円の非課税枠が創設されました。これまでは少額の贈与であっても申告が必要になり、しかも暦年贈与が認められなくなるという点が敬遠され、あまり利用のなかった相続時精算課税制度ですが、だいぶ使いやすくなりました。これらの制度改正の目的は、相続・贈与の一元化のための、相続時精算課税への誘導にあると私は考えています。