メタバースの活用を推進するMeta日本法人Facebook Japanが、「VRを活用した未来の福祉プロジェクト」を発表し、話題を集めている。これまでゲームや映像作品といったエンターテインメント・コンテンツがリードしてきたVR市場だが、福祉での活用とはいかなるものか? 聞けば「VR旅行」だという。そこには人と人とのつながりや、やりがいと喜び、さらには雇用創出など、仮想空間の中だけにはとどまらない可能性が見えてきた。

Metaが考えるメタバースとは

「メタバースとはソーシャルテクノロジーの次なる進化の形であり、物理的な世界ではできないことを可能にし、大切な人たちとより深くつながるための、相互接続されたデジタル空間といえます」――そう語るのは、Facebook Japan公共政策本部でポリシープログラムマネージャーを務める、栗原さあや氏。その視点はMetaのミッションである「コミュニティづくりを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」ことにも直結している。

「メタバースおよびメタバースの構築に不可欠なXRテクノロジーが『Meta Quest』シリーズなどで体験できるVRです。完全なるメタバースの構築にはまだ時間がかかると考えており、今のところはゲームなどエンターテインメント中心ですが、今後は教育や福祉など多くの分野に展開していくでしょう。今後5年10年単位の技術進歩とともに社会実装が広がっていき、その可能性は非常に幅広いと考えています」(同)

メタバースではこれまでのビデオ会議でのやりとりと異なり、その場にいるかのような感覚が得られると同時に、物理的な世界ではできないようなつながりやコミュニティへの参加が可能となる。そのような「場」に人が集まることで、これまでにない形のつながりとコミュニティが生まれ、広がっていく。それこそがMetaが目指す新世界なのだ。「Metaによるメタバースへの取り組みにおいて、日本は大きな可能性を持ったマーケットと考えています。VRヘッドセットの利用者も多く、活用事例もいろいろ出てきています」。

そうしたVR活用事例のひとつが、高齢者福祉施設でVR旅行コンテンツを提供する、東京大学先端科学技術研究センター稲見・門内研究室学術専門職員、登嶋健太氏の活動である。

栗原さあや/Facebook Japan公共政策本部 ポリシープログラムマネージャー。パブリックアフェアーズのコンサルティング会社にて企業等の渉外・広報業務の支援に携わったのち、2018年にFacebook Japanに入社。公共政策本部にて非営利団体・自治体等との連携事業や、デジタルリテラシー推進のための教育プログラム、XRクリエイター育成の取り組み等を担当。

高齢者の願いをかなえるVR旅行

登嶋氏は高校卒業後、スポーツトレーナーを目指して柔道整復師の免許を取得。介護施設で機能訓練指導員を務めるようになった。その中で「外出したい、思い出の場所にもう一度行きたい」と思いながらも、身体的理由で断念せざるをえない要介護者の想いに触れ、その願いを少しでもかなえたいと、360度カメラを使ったVR旅行のコンテンツを自ら制作、各地の高齢者施設で旅行体験サービスを提供するようになった。今回のプロジェクトのキーマンでもある登嶋氏が、VR旅行に注目したきっかけは何だったのだろうか。

「私は高校でバスケットボールをやっていて、スポーツトレーナーを目指していました。そこで整骨院で働き始めたんですが、患者さんには高齢の方が多く、そこから介護業界に興味を持ち、そこで働くようになったんです。介護施設で、目の前の方たちの課題をどう解決するかを考えました。一番の課題とはやはり、身体的な自由がないことです」と登嶋氏は言う。

介護施設では利用前にアセスメントシートを書いてもらうのだが、「何をしたいですか?」と質問すると、「旅行に行きたい」という人が多いという。ただ施設に通い、体が動かないという現実を目の当たりにして、そうした希望も薄れてしまう。

「そこで360度撮影できるカメラを使い、私が自分で撮った動画映像を、勤めていた介護施設の入居者の方たちにお見せしたのです。結果、すごく感動していただきました。施設から出られない人にとって、VR旅行は非常に大きな刺激になるということがわかりました」

登嶋氏が勤めていたのは高齢者に運動習慣を身につけることに特化した施設だった。VRで旅行を経験すると自分も行きたくなって、「ここに行くためにがんばろう」と、リハビリのモチベーションも高まるという。当初は、登嶋氏の個人的な取り組みとして行っていたVR旅行サービスだったが、撮影したコンテンツをSNSにアップすると、大きな評判を得た。「それでクラウドファンディングで資金を集め、日本縦断や世界一周を計画しました」(同)。クラウドファンディングなどで150万円ほど集まったが、それでは世界一周には足りず、不足分は登嶋氏が自分の貯金を崩してまかなった。

登嶋健太/東京大学先端科学技術研究センター稲見・門内研究室、一般社団法人デジタルステッキ 代表理事。高校卒業後、専門学校を経て柔道整復師として接骨院に勤務。2012年に高齢者介護施設に転職し、2014年からVR旅行サービスを開始する。2017年に総務省異能vationジェネレーションアワードで特別賞を受賞。2018年4月から、東京大学先端科学技術研究センター稲見・門内研究室学術専門職員。

メタバースの福祉分野での活用可能性

登嶋氏のこうした活動は、高齢社会の抱える諸課題にICTでアプローチする研究を専門とし、シニアの社会参加と就労を促進する情報プラットフォーム「GBER」の研究開発で知られる、東京大学先端科学技術研究センターの檜山敦特任教授の目にとまり、日本VR学会での講演に招かれた。

「檜山先生はシニアにとっての直接的なリハビリ支援の形ではなく、VRがもたらす楽しさを原動力にしていることに強く共感され、実際に高齢者施設でVR旅行を導入している様子を見てくれて、大学での研究を通じて活動を発展させていってはと声をかけていただき今に至ります」と登嶋氏。

最初は自分一人で映像を作っていた登嶋氏だが、活動を広げるなら分業していく必要があった。登嶋氏は「若い人たちよりシニア世代に撮ってもらったほうが、視聴する高齢者の方たちのニーズに即したコンテンツができるのではないか」と、アクティブシニアに撮影協力を依頼するようになった。

「ふだんから旅行に出かけているシニアの方たちに360度カメラをお貸しして、旅先で撮影していただくのです。そうして作成した映像を都内のあちこちの福祉施設に持っていって、利用者のみなさんにVR体験をしていただきました」(同)

体験会の参加者がかぶっているのはMetaが販売している「Meta Quest 2」というオールインワンVRヘッドセットだ。こうしてみると不思議な光景にも映るが、ディスプレイの中には360度カメラで撮影された旅行先の景色があり、顔の向きと連動してぐるりと見渡すことができる。その臨場感こそ、VR旅行の醍醐味だ。体の自由がきかない高齢者にとっては、願ったりかなったりの体験である。

こうした登嶋氏の活動を知って賛同したのがMeta日本法人Facebook Japanである。

Facebook Japanでは以前から、Metaが提供するプラットフォームを高齢者に安全に利用してもらうための啓発活動を行ってきた。

福祉分野におけるVRなどのメタバースの構築に欠かせないテクノロジーの可能性を模索する中で、登嶋氏がVR旅行という先駆的な取り組みを実施していることを知り、対話を重ねてきた。そして今回「VRを活用した未来の福祉プロジェクト」を立ち上げたのだ。

「コンテンツ制作には地域のシニアの方にも関わっていただき、そこでコミュニティをつくりつつ、できた作品を介護施設等でも試していただこうと考えています」と栗原氏。プロジェクトには、以前からFacebook Japanとの間に連携協定を結んでいる盛岡市、神戸市も参加している。

VRやメタバースには今後、エンターテインメント分野だけでなく福祉領域・教育・医療など様々な分野で大きな変革を引き起こす可能性を秘めている。しかし、その実現のためには様々な専門家やステークホルダーとの連携が不可欠だ。

「私のVR旅行の取り組みに注目していただき、さらに、ヘッドセットのサポートをしていただけるのは大変うれしい。Facebook Japanさんと連携することで、VR旅行への関心や福祉領域でのステークホルダーがこれまで以上に増えること、既存の動画投稿プラットフォームだけではできない、コミュニティの形成に期待しています。シニアに加えて、学生など若年層の方にもVRの面白さや可能性を知ってもらえたらと考えています」と話す通り、プロジェクトへの登嶋氏の期待は大きい。一方のFacebook Japan側も「自治体のみなさんも強い関心を持ってくださっていますし、例えば、VRコンテンツ作成や撮影のサポートなどを通じて若年層の方にも参加してもらうといった形で、プロジェクトによるシニア以外へのVR体験の広がりや世代間の交流も進めていければと考えています」(栗原氏)と、意欲は十分だ。

世界に先駆けて高齢化社会に直面している日本において、VRやARなどのXRテクノロジーが今後どのように社会にポジティブなインパクトを与えうるのか。その未知の可能性に今後も着目していきたい。