世界的なライフサイエンス企業であるバイエル。その中で、日本において農薬の開発・販売など農業分野の事業を手掛けるのがバイエル クロップサイエンスだ。今、同社による農業のDX化、スマート化が注目を集めている。その狙い、意義はどこにあるのか。坂田耕平社長とAIやIoTの専門家である伊本貴士氏が語り合った。

テーラーメイドで圃場ほじょうごとの最適化を支える

【坂田】当社はドローンによる農薬散布やハウス栽培における病害予測に貢献するモニタリングサービスなど、ロボティクスやセンシング技術、AIを活用した多様なソリューションを提供しています。背景にあるのは担い手不足や農地縮小といった課題の深刻化。農業分野の生産性と持続可能性、この二つを向上させるには、単に農薬を販売するという発想から脱却し、ニーズを精緻に見極め、それに応える新たな価値を届ける必要があると考えています。

坂田耕平(さかた・こうへい)
バイエル クロップサイエンス株式会社
代表取締役社長
マッキンゼー・アンド・カンパニー・インコーポレイテッド・ジャパンでアソシエイト プリンシパルを務めた後、2013年にバイエル クロップサイエンス 執行役員 マーケティング本部長。ベトナム バイエル社代表兼クロップサイエンス部門 ベトナム代表、ドイツ・バイエル社 クロップサイエンス部門 デジタルファーミングソリューション・インキュベーター アジアパシフィック責任者などを歴任し、22年8月より現職。

【伊本】その重要な手段がDXというわけですね。実際、第一次産業は他と比べてIoTなどを取り入れるのが実は非常に早かった。もともと、多くの農家が「自分たちの作業にはテクノロジーで最適化できる余地がまだ十分にある」と感じていたんだと思います。

【坂田】確かに現場に行くと分かりますが、皆さんとても実験好きで、新しい技術への感度も高い。当社としては、そうした前向きな姿勢に応えるべく、“テーラーメイド・ソリューション”の開発に注力しています。同じ作物を栽培するのでも、環境や品種によって手法、ノウハウが異なるのが農業の世界。それぞれの圃場(農地)ごとに防除を最適化できるツールの提供を重視しています。

【伊本】これまで経験や勘に頼っていた作業をデジタル技術で法則化する。そうしたDXの流れは今後いっそう加速するに違いありません。ただそうすると、「人がやることがなくなるのでは」という声が必ず出てきます。

【坂田】AIなどが人間の仕事を奪うと。

【伊本】実際はそうはなりません。人の仕事がなくなるのではなく、役割が変化すると考えるべきでしょう。力を使って物を動かすより、頭を使ってデータを分析したり、それに基づき判断したりする仕事が増えるわけです。

伊本貴士(いもと・たかし)
メディアスケッチ株式会社
代表取締役
2000年にNECソフト入社。Linuxの専門家としてNECグループの多様なプロジェクト支援に携わる。その後、フューチャーアーキテクト、携帯系SNSのベンチャー企業を経て、09年にメディアスケッチを設立。技術戦略、AI・IoTの導入支援を行いながら、ビジネススクール、大学などで講師を務める。また、AI・IoTの専門家としてテレビ番組に出演する他、各種メディアで最新技術を伝える伝道師として活動中。

【坂田】同感です。特に農業は天候や災害など外部要因に大きな影響を受けるため、時々の状況に応じた柔軟な判断が求められます。また、品種改良のスピードも速まっており、それに対応して栽培方法も改めていく必要がある。いずれも人なくしては成立しません。

【伊本】農作物の栽培にはパラメーター、つまり状況によって変化する事柄が無数に存在する。確かにAIはそれらを効率的に分析するのが得意です。ただ、分析結果を賢く活用するには人の知見が欠かせない。データ活用には大きくインプット、分析、アウトプットの三つのフェーズがありますが、これらは繰り返し循環していくものですから。

【坂田】循環させながら、アウトプットの精度を高めていけるのが魅力ですね。その中心にいるのはあくまで人間で、当社としてもデジタル技術は農家の皆さんが意思決定、行動しやすい環境をつくるための手段だと考えています。

【伊本】実際、デジタルと現場の知見を掛け合わせることで、画期的な栽培方法が見いだされる可能性は大いにある。多様なパラメーターが存在する農業分野は宝の山だと思います。

情報、知見を融合させ継続的に挑戦していく

【坂田】経験に依存していた作業やノウハウを見える化したり、効率的な栽培方法の再現性を向上させたり。デジタル技術が現場に浸透する中、当社には「もっと使い勝手を良くしてほしい」「費用対効果を上げたい」などの要望が寄せられるようになっています。

【伊本】そうした声は製品やサービスの開発、改良の大きな助けになりますね。

【坂田】現場からのフィードバックがソリューションの質を高めていく。DXの取り組みにおいて、製品やサービスを提供する企業とお客さまの関係は決して一方通行ではありません。先ほどあった“循環”の中で互いの情報、知見を融合することが大きな意味を持つ。その点で、農家の皆さんはもちろん、卸や販売店、さらに他メーカーを含め、バリューチェーン全体が私たちにとって“共創のパートナー”です。

【伊本】重要なお話だと思います。実世界とデジタル世界を結び付ける「サイバーフィジカル」の分野では、やってみないと分からないことが非常に多く、試行錯誤やチャレンジが必須です。

【坂田】そうした中、当社は来年、水田の雑草防除のソリューションを提供予定です。現在、水田の除草剤は多様な雑草に対応し、使い勝手を高めるため、複数の成分を混合したものが一般的に使われていますが、個々の水田の雑草診断をアプリでサポートし、必要な場所に、必要な時に、必要な除草剤だけを散布できるようにする。まさにテーラーメイド・ソリューションです。

テクノロジーでイノベーションを起こし農業の未来を開く

「Health for all, hunger for none」をビジョンに掲げるバイエル。農薬と作物に対する知見を基に、必要な剤を必要な量だけ散布するテーラーメイド農業を通し、農家の収益向上と作業負荷の削減、環境への影響も低減する持続可能な農業の実現に貢献する。

【伊本】農家としては除草にかかる費用を削減でき、環境への負荷も軽減できる。また、私たちはよく“身の丈DX”という言葉を使うのですが、自分たちの状況や規模に合わせて導入できる興味深いシステムだと思います。

【坂田】ありがとうございます。日本の農業は今、転換点にあります。国の食料安全保障政策の見直しが進められ、サステナビリティへの要請も強まっている。その中で生産性と持続可能性の両方を向上させること、加えてもう一つ、日本の農業を“ガラパゴス化”させないことが私たちの役割。スマート農業やDX支援のトップランナーとして、世界に通用する農業の実現に貢献していきたいと思います。

【伊本】DXは目の前の課題の解決にも使えますが、未来をつくるのに大きな力を発揮します。そこでは、冒頭坂田社長がおっしゃった「物を売るのではなく、新たな価値を届ける」という考え方が重要になってくるはず。今後の取り組みに期待しています。