――その後もジョーさんとパッキャオとの交流が続いていきますね。
パッキャオが東洋太平洋フライ級王座を獲って、ルイシトのアンダーカードで防衛戦を行なったのが97年12月。1ラウンドKOであっさり終わりました。この試合に向けたトレーニングでは毎日、ジムで顔を合わせていましたね。向こうも『やあ、マネジャー』と言ってくるんですよ。フィリピンで目上の人に声をかけるときには『ミスター』じゃなくて『マネジャー』が一般的なんです。
実は3年前にも一度フィリピンで会ったのですが、やせ細っていた昔と見違えるようにスーパースターの風格があって後光が射していましたよ。そのときも『マネジャー』と呼んでくれましたね。
――パッキャオは98年12月にWBC世界フライ級王座を獲得しましたが、むしろ注目を集めるようになったのは王座から陥落後。一気に3階級アップしてS・バンタム級に上げてからサクセスストーリーが始まっていくことになります。
アメリカにトレーニングがてら自分の名前を売り込みに行ったら、IBF世界S・バンタム級王者リーロ・レジャバの対戦相手が負傷で試合に出られなくなった。そこでフレディ・ローチのジムで練習していたので、プロモーターから『パッキャオというのが来ているらしいな』と白羽の矢が立ち、そこで勝ってしまうわけです。こんな幸運があるのかってぐらいですよ(笑)。左ストレートがスパーンと決まって稲妻みたいなパンチで、番狂わせを起こしました。
そこからはもう番狂わせの連続です。当時のスーパースターの一人であるマルコ・アントニオ・バレラがナジーム・ハメドを破った後に対戦相手に指名されました。ここで歴史的な番狂わせを起こしてしまい、エリック・モラレスに2勝、ファン・マヌエル・マルケスにも勝って、08年にはスーパースターのオスカー・デラホーヤにも番狂わせを起こして勝ってしまう。
――それも階級を上げながら、ですよね。
デラホーヤ以降もS・ライト級のリッキー・ハットン、ウェルター級のミゲール・コットと次々に階級の壁を打ち破っていきました。フライ級の50.80㎏からS・ウェルター級の69.85㎏までの約19㎏を克服していったわけです。1930年代にはヘンリー・アームストロングがフェザー、ライト、ウェルターのタイトルを同時に保持した「怪物」ですが、ウエイトで言えば10キロ弱の範囲内。パッキャオは現在の「怪物」と言っていいでしょう。