新型コロナウイルスの感染拡大や地球温暖化といった世界規模の課題が次々と押し寄せ、DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI(人口知能)といった新しいテクノロジーの話を見聞きしない日はない。国際情勢に目を向ければ、米中両国の対立が激化するなど混迷の様相を深めている。このように変化のスピードが加速し、先が読めない時代が到来している中、日本が生き残るためにどうしたらいいか――。
この問いに答えるため今回、世界のさまざまな国々で長年、インフラ開発と国際協力に尽力してきた、経団連副会長・開発協力推進委員長の安永竜夫氏と、独立行政法人国際協力機構(JICA)副理事長の山田順一氏による対談を行った。日本が今抱えている課題とは何か、再び日本が世界で存在感を示すための活路はどこにあるのか。それぞれの立場から語っていただいた内容を紹介する。

海外のインフラ開発を手がけてきた私たちの「原動力」

――お二人とも世界を舞台に仕事をしてこられましたが、海外で長年大規模な開発事業に尽力されてきたその原動力とは何だったのでしょうか。

【安永】日本人が誰もいないような国へ行って商売のシーズを見つけて、1人で仕事をつくる、ということが私のビジネスパーソンとしての原点であり、原動力なんです。三井物産に入社してまもなく会社から「3カ月で中国語をマスターしてこい」と言われ、台湾で90日間の中国語研修プログラムを受けまして、直後に中国で仕事をしたのが最初の海外経験です。

その後、インドネシアを担当したときは、「自分でお客様のところに行って仕事をつくれ」と言われ、スマトラの製油所に通いました。しかも語学の研修プログラムもない。タクシーの運転手さん相手に片言のインドネシア語と英語の合わせ技で一生懸命に会話して、ようやく空港から客先にたどり着いたということもありました。

海外で自分の五感をフルに使って現地の言葉や文化・風習、人となりなど諸々のことを勉強しながら仕事をしていたという意味では、まさに「民間版・青年海外協力隊」みたいなことをやっていまして、それが私の仕事の原点となっています。

安永竜夫(やすなが・たつお)
日本経済団体連合会副会長・開発協力推進委員長
三井物産会長
1960年生まれ。83年東京大学工学部卒業後、三井物産に入社。機械・インフラ畑出身で、過去に担当した地域は北米、中東、欧州、南米など5大陸全てに渡る。プロジェクト業務部長、経営企画部長、機械・輸送システム本部長を経て、2015年に歴代最年少で社長就任。20年経団連副会長就任。21年三井物産会長就任。

――三井物産は世界60カ国以上に拠点があり、発電事業、電力・ガス・水の供給、鉄道、物流インフラと、インフラに強みをお持ちです。そして安永会長ご自身は、機械インフラ畑のご出身で、海外プラント建設などを数多く手がけられてきました。総合商社の海外インフラ・ビジネスは、どのような歩みをたどってきたのでしょうか。

【安永】私も携わっていた総合商社の海外インフラ事業の変遷をかいつまんでお話しますと、1980年代から90年代頭まで公的部門の役割が大きくて、国営や公営企業、場合によっては国そのものがインフラの発注者でした。

この頃までは、いかに日本の製品や設備を海外に売り込むかという考えが大きかったと思います。

それが90年代半ばからインフラにビジネスとしての効率性が重視されるようになり、電力、鉄道、高速道路の民営化という流れが生まれました。それを世界銀行が主導し、公平性や透明性が確保された途上国におけるインフラ開発の仕組みを整備・提供していったわけですが、ときにJICA(国際協力機構)さん、OECF(海外経済協力基金、1999年に日本輸出入銀行と統合し国際協力銀行に)さん、JBIC(国際協力銀行、うち海外経済協力部門が国際協力機構と2008年に統合)さんの制度金融を活用しながら案件をつくり上げていきました。

そうなると次第に、製品や設備を売り込むことだけではなく、その後の運営まで含めた一気通貫のインフラ事業というものが求められるようになって、そこから例えばIPP(独立系発電業者による卸電力事業)とか、鉄道への投資といったことを事業として行うようになった。そしてこの20年間は、ハードウエアを売るモデルから、資金と人のリソースを活用して新しいビジネスをつくる形に変わってきました。

――山田副理事長にとって、仕事の原動力とは何だったのでしょうか。

【山田】私は若い頃、海外に行きたいと思っていたんです。大学3年のときに当時のビルマ(現ミャンマー)に視察旅行に行く企画に応募して2週間ほどビルマに滞在しました。現地の日本語を熱心に学んでいる学生たちと親しくなって、ぜひこの国の発展のために尽くしたいと思い、それがきっかけで国際協力を仕事にしたいと考えました。

その後、OECF(海外経済協力基金)に入って、最初の赴任先がたまたまビルマでして、大使館員として3年間赴任しました。それですっかりこの国が好きになりました。ビルマは小乗仏教の国で、一般市民でも1年に1度、僧院に入って一身の解脱のために僧院で厳しい修行をする人が多いのですが、私も休暇を利用して修行するようになりました。

その頃ビルマは鎖国政策の影響で経済的に低迷していたのですが、片や日本はバブル時代で上場株の儲け話が連日ニュースになっていました。お金儲けに熱中する日本に違和感を抱いていた私は、清廉なビルマ人たちにひかれながらも、ビルマが悩まされている貧困問題や、飢餓問題を解決する力になりたいと思っていました。それが私の仕事人生の原点であり、原動力になっています。

山田順一(やまだ・じゅんいち)
独立行政法人国際協力機構(JICA)副理事長
1956年生まれ。82年東京大学大学院都市工学専攻修士課程卒業後、海外経済協力基金(OECF)に入行。ODA畑が長く、担当した国はインドネシア、マレーシア、インド、イラン、トルコなど。2008年のJICA発足後、中東・欧州部長、企画部長、理事を経て、20年に副理事長就任。著書に『インフラ・ビジネス最前線―ODAの戦略的活用』『インフラ協力の歩み』がある。

――JICAが中心的な役割を担ってきた日本の国際協力は、途上国の発展に寄与し、世界から評価されてきました。ただ、今の日本経済は低成長で、日本の国際協力やODA(政府開発援助)も岐路に立たされているといわれます。JICAの活動については、どのようにとらえているでしょうか。

【山田】今でも日本の国際協力は世界に誇れるものだと思っていますし、そう言えるだけの成果を出してきました。これまで米国は主に中南米を、欧州は主にアフリカを、日本は主に東南アジアを支援してきました。この3つの地域の経済の発展状況を見ますと、それは一目瞭然です。

たとえば、1960年の1人当たりのGDPは、東・東南アジア(日本・韓国除く)が170ドル、サブサハラ・アフリカ(サハラ以南のアフリカ)は700ドルと、アフリカのほうが東・東南アジアよりも4倍ほど高かった。しかし、日本が官民一体でインフラなどの整備を支援したことで、東・東南アジアは90年代初頭にサブサハラに追いつき、今やサブサハラよりも1人当たりのGDPが3倍以上高くなるなどはるかに追い越しています。

日本の支援は、まずODAでインフラをつくり、そこに民間企業が工場を建てるための投資をし、最後に民間企業が貿易をするという流れで行われてきました。官民一体の開発協力は日本ならではです。この「日本モデル」はアフリカや、場合によっては中南米の開発にもこれから役立つと思っています。

国際社会における日本のプレゼンスを取り戻す方法

――世界情勢を見れば、大国の米中両国が覇権を競い合い、一方で日本のプレゼンスが減退しています。インフラ輸出についても、日本はかつての存在感を失いつつありますが、お二人はどうお考えでしょうか。

【安永】日本の「失われた30年」の間に(中国をはじめとする)新興国が成長したことで、相対的に日本が地盤沈下した格好ですが、日本の強みが失われたわけではないと思っています。たしかに中国は国内での経済成長を軸にして、インフラ分野におけるハードウエアも、より競争力の高いものを輸出していますが、日本が戦う土俵はそこではないということをまずはっきりさせる必要がある。

大事なのは、経済の成長とともに日本も産業の高度化をしていかなければいけないということ。日本が誇るオペレーションの技術と、きめ細かいメンテナンスといったライフサイクルで事業をしっかり回す。コモディティ化した部分は、中国などの新興国から買ってきて、日本は他国に真似できない最も重要な部分を担う。つまり、世界の中で、一番頼りになるインフラのサプライヤーやオペレーターは誰か、というところで日本は今後、存在感を示していけばいいと思っています。

【山田】同感です。日本は世界のどこよりも効率的で高機能なインフラを提供し、それを運営する主体となっていくことが望ましいと思います。

1つ過去の例を挙げますと、日本の私鉄各社は公的資金なしで鉄道を敷いています。そこから沿線開発を進め、住宅・不動産開発で利益をあげてきました。つまり鉄道によって地価が上昇して得た利益を、自社で長期的に配分して事業を拡大するモデルをつくった。このモデルは海外でも汎用性があると思っています。そして、このモデルを世界に広げられるのが私鉄と組んだ日本の総合商社だと思っています。

【安永】インド太平洋エリアについては、我々にとっても有力なマーケットで、そうしたモデルも含めて検討する余地はあると思います。しかし世界中のどこでもビジネスをやれるかというと、企業の経営資源は限られていますから、やはり(地域に対して)選択的にならざるをえない。

その選別の基準は、現地の事情にインサイト(洞察力)を持っていることも大事ですが、我々の事業の主軸の1つはPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ=官民連携)ですから、ホスト国側に民間投資を受け入れるための行政を含めた支援体制などがあるかどうかが非常に重要になってきます。やはり、そこはJICAさんをはじめ、パブリックセクターに整えていただくしかないんですね。

【山田】民間企業が活躍できるようなフレームワーク、つまり法律や制度、政策の整備を途上国において支援することは、JICAの重要な仕事だと思っています。

実際に、JICAはベトナムで民法や民事訴訟法などの整備や運用に対する支援を行ってきましたし、ラオスやカンボジアでも取り組んでいます。まさに今、PPPを推進しているインドネシアに対しても、IFC(国際金融公社)や日本政府と連携してPPP事業者選定手続きを支援するほか、ビジネス環境の改善に関する法制度整備のための支援を、JICA専門家を派遣して進めているところです。

DXとGXの分野で、先進国と開発途上国の「橋渡し」の役割を担う

――今後の具体的な取り組みとして今、世界ではSDGsを含む世界の持続的な発展が重要課題になっています。これに先進国が率先して取り組み、途上国をリードしていくことが求められています。この分野において、日本が果たすべき役割をどのようにお考えでしょうか。

【安永】経団連の立場でお話しますと、日本が目指すべき未来社会の姿として打ち出したSociety 5.0(デジタル革新と多様な人々の想像・創造力の融合によって、社会の課題を解決し、価値を創造する社会)の実現を見据えて、まさに官民が協力して持続可能な成長目標に向かって、ホスト国の政府や関係機関などとの関係性をより高いレベルに引き上げ、新興国の国づくりに貢献していくということが1つ。またそれと合わせて、我々のビジネスとして伸びゆくアジア市場で仕事をつくっていけるかどうか。この2つがとても重要です。

その鍵になるのは、デジタルトランスフォーメーション(DX)と、気候変動への取り組みであるグリーントランスフォーメーション(GX)に尽きる、と思っています。

【山田】同感です。そのうちDXについては、経団連さんとも協議を重ねて、『Society 5.0 for SDGs国際展開のためのデジタル共創』という提言書を作成しました。これは日本企業が持つデジタル技術を活用したソリューションと、JICAのODAなどの各事業を組み合わせて、日本企業の海外進出とJICAの国際協力の両輪を回していくウィンウィンの政策提言集でして、今後、新興国・途上国で推進していきたいと思っているところです。

【安永】もう1つのGXについて言えば、国によって保有する資源の内容も自然環境も、経済レベルも違います。やはりアジアにはアジアのカーボンニュートラル(温室効果ガスの実質ゼロ)への道筋があります。それぞれの国がロードマップをつくり、それに合わせて日本が協力していくという現実解を求めていくことが何より重要ではないでしょうか。

【山田】その意味で日本には先進国と途上国の間に立って、橋渡しをする役割があるだろうと思っています。もちろん目指すべきはカーボンニュートラルであり、脱炭素の実現です。他方、一般論として今も石炭火力で発電せざるをえない国がありますし、それを今すぐ止めることは難しい面もあると認識しています。その意味で日本には先進国と途上国の間に立って、脱炭素化に向けたエネルギー源転換のマスタープラン作りを支援するなど、橋渡しをしていく役割があるだろうと思っています。

これからの日本の国際協力の姿を提言する

――世界は未来の予測が難しいVUCAの時代を迎え、日本の国際協力も変革が求められているところですが、未来の日本の国際協力はどうあるべきでしょうか。

【山田】これから必要なのは「内外一元化」だと考えています。つまり、日本国内の課題と国際的な課題とをつなげて考えるということです。

まず日本が抱える深刻な課題の1つである「地方経済の疲弊」に、JICAが貢献できるだろうと思っています。地方には優れた技術を持つ企業がたくさんありますが、海外に出ていくノウハウが不足しています。我々が水先案内人となって、各国の抱えるさまざまな課題解決に役立つような中小企業の製品や技術を世界に売り出すサポートをし、地方を元気にするというのが1つ。

もう1つは、国内の労働力不足という課題を解決するために、国内で困っている外国人をしっかりケアすることです。これによって日本が信頼され、他国から来ていただけるようにしていくということもJICAの役割になると考えています。

【安永】私は、やはり今後も日本は官民が協力して相手国の国造りに貢献してくことが我々の使命だと思っているんですが、そのための課題が「人」です。VUCAの時代にも世界で活躍できるたくましくて強靱きょうじんで、変化に強いビジネスパーソンを送り出すことが日本には求められています。

自分の社会人としてのキャリアを正当化するわけではないですが(笑)、私が社内で言っているのは、「できる限り早く海外で独り立ちせよ」ということです。語学力だとか、ビジネススキルだけではなく、現地で人と人のネットワークをつくり上げていける能力を、若いうちから鍛えないといかんと思うんです。JICAさんにはぜひ引き続き、JICA海外協力隊をはじめとして、そういった人づくりにもご貢献いただきたいと思います。

※本インタビューは、新型コロナウイルス感染症の予防を徹底したうえで行いました。