分煙が徹底され、喫煙に関するマナーも向上すれば、たばこを吸う人と吸わない人との軋轢もなくなるはず。多様性が尊重される時代であるだけに、両者の共存は社会的に重要なテーマ。この問題に正面から挑むのが「仕掛学×喫煙所」プロジェクトで、人間の好奇心を刺激することで喫煙マナーが自然と向上するという。仕掛学の提唱者である大阪大学大学院の松村真宏教授と、同プロジェクトリーダーである田中洋平氏(JT)の2人に対談してもらった。

「ついついやってみたくなる」という人間の心理を刺激

――日本発のフレームワークである仕掛学とは、そもそもどういった手法を用いたアプローチなのでしょうか。

【松村】仕掛学の研究目的は、社会に好ましいインパクトを与える「ソーシャルグッド」のための行動変容を促すことにあります。何らかの仕掛けを用いることで人々の行動を変え、それによって社会問題の解決を図ることに取り組んでいます。

わかりやすい例として挙げられるのは、男子トイレ小便器に貼られた「的」のシールです。「的があるとついつい狙いたくなる」という人間の心理に着目し、尿の飛散が最小になる位置に貼られているので、知らず知らずのうちにトイレの汚れが軽減されます。「トイレはきれいに使いましょう」という張り紙をするよりも、さりげなく「的」のシールを貼るほうがはるかに効果的なのです。

【田中】米国のリチャード・セイラー教授が提唱する「ナッジ」のような行動経済学と混同されがちですが、明らかに一線を画しているものですね。

【松村】「行動変容」というキーワードは共通していますが、出発点が異なっています。行動経済学は人の意思決定のバイアスを利用して「ついつい、やってしまう」ように誘導するものです。これに対し、仕掛学では「ついつい、やってみたくなる」という人々の好奇心を刺激するアプローチを用います。

松村真宏(まつむら・なおひろ)
大阪大学大学院経済学研究科教授
1975年大阪生まれ。大阪大学基礎工学部卒業。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。工学博士。2004年より大阪大学大学院経済学研究科講師を務め、同大学院准教授を経て2017年7月より現職に。2004年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校客員研究員、2012~2013年にスタンフォード大学客員研究員も務める。著書に『仕掛学 人を動かすアイデアのつくり方』 『人を動かす「仕掛け」 あなたはもうシカケにかかっている』など。

仕掛学は喫煙所のマナー向上に結びつくと直感

――「仕掛学×喫煙所」というコラボレーションは、どういった経緯で実現したものなのでしょうか。

【田中】松村先生に初めてお目にかかったのは、2019年に開催されたワークショップのイベントだったと記憶しています。松村先生のお話を初めて拝聴して感銘を受け、イベント後の懇親会でお声掛けして、お酒を飲みながら少しお話しさせていただいた次第です。

【松村】談笑した内容については細かく記憶していませんが、いっしょにお酒を飲んだことは覚えていますよ(笑)。

【田中】松村先生から話を直接うかがって仕掛学に対する興味がさらに深まりましたし、漠然としたイメージではありますが、JTが注力している喫煙マナー向上に関する取り組みとも親和性があるような気もしました。

我々が目指しているのは、たばこを吸う人と吸わない人が共存できる社会の実現です。そのために、たばこを吸う人が自発的にマナーを守ろうと思っていただく内容の広告やポスターなどを制作したり、分煙環境を整備したりする活動に取り組んできました。

――2020年4月に全面施行された改正健康増進法では、望まない受動喫煙防止の観点から規制が強化されました。そのことも、今回のプロジェクトの大きな動機づけになっているようですね。

【田中】所定の基準を満たさない屋内の喫煙所が撤去され、その数が大幅に減りました。しかも、奇しくも同じタイミングでコロナ禍に見舞われたことから、一時閉鎖となる喫煙所が相次ぎ、たばこを吸える場所は非常に限られるようになりました。

やっとのことで喫煙所を見つけても長蛇の列ができているケースが多く、一部のたばこを吸われる方が路上でたばこを吸うようになり、その様子がメディアに取り上げられて批判を浴びました。我々たばこメーカーとしては、こうした社会問題の顕在を看過できません。

そこで、喫煙マナー向上に結びつく妙案はないものかと頭をひねっていたら、仕掛学のことを思い出したのです。これだと閃いた私は、すぐさま松村先生に連絡を取っていました。

田中洋平(たなか・ようへい)
日本たばこ産業株式会社(JT)
「仕掛学×喫煙所」プロジェクトリーダー
1988年兵庫県生まれ。関西大学社会学部卒業。大手金融機関にてコーポレートファイナンス、営業推進、商品企画等に従事。2017年JT入社。新規開拓営業、分煙コンサルティング等の業務を経て、現在は社会課題解決×喫煙環境整備という新たなアプローチにトライ中。「仕掛学×喫煙所」のプロジェクトを立案し、その遂行のための指揮を執る。

ゼミの学生も参加して「仕掛学×喫煙所」計画が始動

――松村先生は、喫煙マナーについて以前から問題意識を抱いていたのでしょうか。

【松村】私自身はたばこを吸わないので、田中さんから声を掛けられるまでは、喫煙所の問題についてまったく考えたことがなかったですね。けれど、言われてみれば確かに、喫煙マナーは社会的な問題の一つです。

自然とその中で吸ってもらえるような仕掛けを施すことが一番の解決策になると思いました。たばこを吸う人は肩身が狭そうな雰囲気にもなっているので、共存できるような環境を整えることは社会的にも大きな意味があります。

――仕掛学とタッグを組むことが決まってから、このプロジェクトはどのようなかたちで進められていったのでしょうか。

【田中】私が松村先生に話を持ちかけたのが2020年の11月で、まずは松村先生と松村ゼミに在籍する学生さんたちから様々なアイデアを提供していただくことになりました。

【松村】学生たちに参加してもらったのは、社会を変えていくような大きなテーマなので、非常に貴重な経験となると思ったからです。

【田中】私自身もそうですが、ゼミの学生さんもたばこを吸わない方がほとんどですね。

【松村】ええ。2020年の時点では1人だけいましたが、2021年はゼロです(笑)。

【田中】たしかに最初に学生さんから出てきたのは、「たばこはどのように吸って、灰はどうやって捨てますか?」という質問でした(笑)。

【松村】お互いにアイデアを出し合って、意見を交わしながらブラッシュアップしていったという感じですね。

【田中】そして、いくつかのアイデアに絞り込んでいったわけですが、実際にプロトタイプを製作するにはコンセプト固めや設計などに関する専門知識が求められてきます。その点に関して当社だけでは力不足の側面もあったので、松村先生と松村ゼミのみなさんに加えて、商業施設などの空間プロデュースを手掛ける株式会社船場様、デザインスタジオのwe+(ウィープラス)様にもプロジェクトに参画していただくことになりました。

マネキンやパーティションがマナー向上の仕掛けに

――仕掛学を駆使した喫煙所のアイデアとして、最終選考に残ったのはどのようなものなのでしょうか。

【松村】大別すると、灰皿に対する仕掛けと喫煙所全体に対する仕掛けの2つに分類できます。灰皿に施す仕掛けは「ついつい使ってみたくなる」という好奇心を刺激するもので、喫煙所全体に施す仕掛けは周囲の注目を集めることを狙ったものです。喫煙に限らず、人間は誰にも見られていないとマナーなどにいい加減になりがちですが、逆に他人からの視線を感じたら悪いことをしづらくなるものです。

最終候補に残ったアイデアのうち、灰皿への仕掛けで私が一番面白いと思っているのはマネキンプランです。

【田中】灰皿のすぐ脇に、独特なポーズだけどきちんとマナーを守ってたばこの灰を灰皿に落としているマネキンを設置しておくというプランですね。マネキンの独特なポーズにつられて灰皿を意識して吸うようになったり、マネキンのマネをしたりすることで結果的にちゃんと灰皿を使うことが期待できます。

マネキンプラン

【松村】実は、マネキンを用いた仕掛けには過去に成功例があります。マネキンが意外な場所にあると、気になってつい目を向けてしまいます。誰も関心を示さないポスターがあったのですが、マネキンがそれを双眼鏡で見ているという仕掛けを施したところ、多くの人々が足を止めて見てくれるようになったのです。

【田中】灰皿への仕掛けでは、パーティションで仕切るプランも面白いですね。灰皿の近くにいると他の喫煙者との距離が近くなるので、ついつい離れた場所で吸って、灰や吸い殻で喫煙所の床を汚しているのではないかという考察に基づいています。

【松村】個人差はあるものの、人間にはパーソナルスペース(他人に近づかれると不快に感じる空間)というものがあり、そのせいで灰皿の近くで吸わないのかもしれないと考えました。パーティションで仕切りを入れて個別の空間を演出すれば、隣の人と実際の距離が近かったとしても、さほど抵抗を感じないのではないかとの仮説に基づいたプランです。

【田中】有名なラーメン店のチェーンで、コロナ禍で感染拡大防止のパーティションが導入されるはるか前から、食事に集中してもらうためにカウンターに仕切りを入れるところがありましたよね。確か、それをヒントに出てきたアイデアだったような気がします。

パーティションプラン

街の景観に溶け込む「光学迷彩」仕掛けの喫煙所

――喫煙所全体に施す仕掛けでは、どのようなアイデアが浮上しましたか。

【田中】松村先生から「光学迷彩(視覚的な透明化)」という斬新なアイデアをいただいて驚嘆しました。

【松村】外観に鏡を用いた光学迷彩を施すことで喫煙所が景観に溶け込み、周囲にいる人たちには喫煙所が見えにくくなります。たばこを吸うためにやってきた人もその空間の中に消えていくという仕掛けです。

【田中】喫煙所が街の景観の中に溶け込んでいるので、その存在がなかなか気づかれず、たばこを吸わない方が不快な印象を抱きにくくなる効果を期待できます。しかも、気づいたとしても「あれは何だろう? どうして人が急に消えていくのか?」という驚きをもたらすので、むしろ面白い設備があるということで注目を集めそうです。

【松村】喫煙所の中にいる人は周囲からの視線を意識するようになります。その結果、自然とマナーを守って吸うようになることを期待した仕掛けですね。

光学迷彩プラン

多様性を実現する喫煙所作りへの協力自治体・企業を募集中

――今後、このプロジェクトはどのようなステップを経ていくのでしょうか。

【田中】絞り込まれたアイデアをもとに、屋外の喫煙所として耐久性にも問題ないものを設計できるかどうかを検証するのが次のステップです。そのうえで、実際の設置に関して様々な自治体や企業の方々と交渉を進めていくことになります。さらに、承諾を得られた喫煙所に仕掛けを設置し、カメラなども活用しながら定点観測を続けて実証データを蓄積していくつもりです。

――行動変容をもたらしたことを実証できた暁には、いずれかの場で研究成果を披露するお考えはございますか。

【松村】はい、論文を執筆して学会で発表するというのが最高の筋書きですね。たばこを吸う人と吸わない人との共存に関しては世界中が困っているでしょうから、かなりのインパクトをもたらす発表になると思います。

【田中】まだ海外では屋外における喫煙規制が厳格に定められていないケースが多く、そもそも喫煙所が存在しない国や地域も少なくありません。このプロジェクトが喫煙マナー向上の成功例となれば、将来的には海外への展開も夢ではないかもしれませんね。

ただ、このプロジェクトはまさにこれからが本番と言えます。目下は4者が共同で取り組んでいますが、JTでは「仕掛学×喫煙所」の趣旨に賛同して協力していただける自治体や企業様を引き続き募集しております。多様性が尊重される時代だからこそ、ぜひとも我々にお力添えいただけますと幸いです。