着実な拡がりを見せる一方、さらなる飛躍への課題も抱える日本の女子野球。今後に向けて何が必要か。Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏と女子プロ野球リーグ創設者の角谷建耀知氏が語り合った。

しなやかな連携プレーなど、男子とは異なる魅力がある

【川淵】角谷さんは女子硬式野球を長年にわたって支援されていますね。きっかけは何だったんですか。

【角谷】2007年に故郷の兵庫県丹波市で女子高校野球の全国大会を観戦し、想像以上に高いレベルのプレーに心を動かされました。ただ、参加校が全国でわずか5校。そのことに驚き、裾野を拡げるお手伝いがしたいと考えたんです。

【川淵】確かにさまざまな女子スポーツが普及する中、これだけ野球が盛んな日本で女子野球の認知度はまだ低い。

角谷建耀知(かくたに・けんいち)
一般社団法人日本女子プロ野球機構 名誉理事
2009年に日本女子プロ野球機構を設立。女子硬式野球部の創設など女子野球の普及と発展に力を注ぐ。株式会社わかさ生活代表取締役。

【角谷】はい。ちょうどその頃、母校の福知山成美高校で理事長として学園再生に取り組むことになり、柱の一つに女子硬式野球部の創設を掲げました。他校にも「女子の野球部をつくりませんか」と声をかけ、初めは思うようにいきませんでしたが、今では全国で40校ほどにまで拡がっています。

【川淵】なるほど。2009年には女子プロ野球リーグも創設されていますね。

【角谷】プロという目標ができれば女の子も野球を諦めずにすむと考えました。リーグには時速130km超のボールを投げるピッチャーや柵越えホームランを放つ選手もいます。一方で、柔らかさ、しなやかさを生かした連携プレーなどは見ていてとても魅力があります。

【川淵】大事なポイントですね。スピードやパワーで男子に迫ろうとするのではなく、別の視点から女子野球の魅力を伝えていく。それがファン層の拡大には欠かせないでしょう。

【角谷】おっしゃるとおりだと思います。

【川淵】加えて、物事を始める際は長期的なビジョンを持つことが大事です。Jリーグを創設しようとしたとき、「時期尚早」「前例がない」など多くの反対を受けましたが、私には「サッカーを通して、日本をあらゆる人がスポーツを楽しめる豊かな国にしたい」という想いがありました。そうした考え方を、「Jリーグ百年構想」というワードでPRしていったわけです。

【角谷】誰もがスポーツを楽しめる環境をつくるというのは本当に重要です。私が女子硬式野球の支援を始めたのも、まさにプレーする喜びを提供できたらとの想いからでした。

川淵三郎(かわぶち・さぶろう)
一般社団法人日本トップリーグ連携機構 代表理事 会長
サッカー日本代表、日本代表監督、Jリーグ初代チェアマン、日本サッカー協会会長などを経て現職。日本サッカー協会相談役も務める。

【川淵】日本サッカー協会では、2014年の「JFAグラスルーツ宣言」で、年齢や性別、障害の有無などに関わりなく、サッカーを身近に楽しめる環境をつくっていくことを宣言しました。スポーツではどうしてもトップ選手に目が向きがちですが、トップ選手の強化と草の根の活動は車の両輪。両方があって、全体の底上げが進みます。

【角谷】高校の女子硬式野球部の普及と女子プロ野球の発展に取り組んできた立場としてよくわかります。今、女子硬式野球のさらなる普及という観点から考えているのは、「女子高校野球の全国大会を、決勝戦だけでも男子と同じ甲子園球場でさせてあげたい」ということです。甲子園大会の開催中に、多くの観客に囲まれながら甲子園でプレーする。そんな夢を女の子にも届けられたら、高校生だけでなく野球をしたいと考えている小学生、中学生の希望にもなると思うんです。

【川淵】それは面白いアイデアですね。高校野球の準決勝や決勝の前には休養日もありますし。

【角谷】そう言っていただけるとうれしいです。そのほか女子硬式野球の普及に向けては、高校チーム、大学チームも含め、プロ・アマの枠を超えて日本一を決める「女子野球ジャパンカップ」なども開催しています。

【川淵】同じ競技に多数の団体があれば関係が複雑になるのは、私自身経験していることでもあります。その中で交流試合を実現されたというのは大変なことだと思います。

「ビジョン&ワークハード」で次のステップを目指す

【角谷】川淵さんは世界のスポーツ界もよくご存じだと思います。日本と比べて、何か感じることはありますか。

【川淵】欧米ではスポーツを人生の一部にしている人が多く、スタジアムにもたくさんの人が訪れます。「する」「見る」「支える」の三要素から自分の好きな形で関わっていけるのがスポーツの良さで、昨年はラグビーワールドカップが多くの人に感動を与えました。「自分の人生にスポーツは関係ない」という人は、私からすればずいぶん損をしているなと思いますよ。

【角谷】私は小さい頃から何度も大きな病気をし、スポーツを「する」ことにはあまり関われませんでした。ただ、高校野球や高校サッカーなどを見るのは大好き。女子野球も見た人に勇気や興奮、感動を与えると信じていますので、やはり多くの人に発信していけたらと思っています。

【川淵】実際、女子野球の現在の普及状況はどういった感じですか。

【角谷】競技人口は2009年当時の約600人から、今では小学生まで含めれば2万4000人以上にまで増えました。女子プロ野球は現在3球団が活動しています。球団運営は経費が収入を上回る形ですが、一定程度裾野の拡大はできたという手応えはあります。

「女子硬式野球の普及・発展」を基本理念に、2010年に開幕した女子プロ野球。10シーズン目の昨年は、4球団(選手育成目的の球団含む)で春季、夏季、秋季のリーグ戦を実施。質の高いプレーでファンを魅了した。

【川淵】かなり増えましたね。高校、大学の硬式野球部もまだ増えるでしょうし、女子プロ野球という夢があることも大事です。ただプロである以上、ビジネスの視点は不可欠。球団の経営改革も必要でしょう。持続性を持たせるためには、運営、選手ともその点を理解し、原点に立ち返って取り組んでいく必要があると思います。私の好きな言葉に「ビジョン&ワークハード」がありますが、まさにそれを実践すべきです。

【角谷】ありがとうございます。次のステップに向けた体制づくりを進めていきたいと思います。

【川淵】女子野球の普及に角谷さんほど力を注いできた人はいないだろうと思います。この10年の努力が基盤となり、女子の野球がさらに発展することを願っています。

野球を愛する女の子に、思い切りプレーできる場を

~日本の女子硬式野球の興隆と女子プロ野球創設者・角谷建耀知氏の想い~

偶然目にした女子高校野球に心を動かされる

全国の高校に女子硬式野球部創部の機運を促し、女子プロ野球リーグを日本に創設――。そんな角谷建耀知氏の情熱の原点となったのは、ほとんど知名度のなかった硬式野球に打ち込む女子高校生たちの姿だった。

「私はもともと高校野球の大ファンで、地元の球場や甲子園に何度も足を運んできました。小学生の時に大怪我を、18歳の時には大病もしたのですが、彼らのプレーや熱気に、生きる勇気をもらってきたんです」

2007年、故郷の兵庫県丹波市に帰省した時、近くで女子高校野球の全国大会が開かれていると聞き、見に行くことにした角谷氏。

「想像以上に試合にはスピード感があり、守備もしっかりしていてレベルが高い。懸命にプレーする彼女たちの姿に心を動かされました」

ただ、そんな選手たちを取り巻く環境には驚かされた。全国大会だというのに参加高校数はわずか5校。女子硬式野球部がある高校は、当時、全国にほとんど存在しなかったのだ。

「女の子は野球が好きでもなかなかプレーできる場所がありません。『高校で硬式野球をしたければ埼玉か鹿児島の高校に行くしかない。それでも野球がしたいんです』と語る選手の笑顔が頭を離れませんでした」

女子プロ野球の創設と草の根活動の拡がり

翌2008年、母校である京都府の福知山成美高校で学園再生に取り組むことになった角谷氏は、その柱の一つとして女子硬式野球部の創設を掲げる。関西エリアには、その時点で女子硬式野球部のある高校はゼロ。福知山成美高校で女子野球をしたいという入学希望者が多数集まれば、学校経営にプラスになるのはもちろん、全国の高校で女子硬式野球をつくる動きも盛り上がると考えたのだ。

告知期間が短かったこともあり、初年度の入部希望者はわずか数名。あわせて同校理事長として、他校の校長や理事に「女子硬式野球部をつくりませんか」と声をかけたが、校長レベルでは賛同を得ても、各校で「練習や着替えの場所はどうなるのか」など現場レベルの反対があったためなかなか実現しなかった。しかし翌々年には、福知山成美高校で32人もの新入部員が集まる。同校の動きを見て、全国で女子硬式野球部を創設する高校が増えるようになった。

さらに2009年、角谷氏は女子硬式野球のさらなる振興に向け、もう一つ新しい動きを開始した。それが、日本女子プロ野球機構の発足だ。同年12月には二つの女子プロ野球球団が誕生し、翌2010年の4月には「わかさスタジアム京都」で日本女子プロ野球リーグが開幕する。野球を志す女子たちの新たな目標ができたのだ。

「現在、女子硬式野球部を持つ高校の数も40校近くにまでなりましたし、日本女子硬式野球のレベルを上げ、裾野を拡げる一定の成果はあったと受け止めています」

女子硬式野球のさらなる盛り上がりに向けて

女子硬式野球をさらに盛り上げていきたい――。そんな願いのもと、角谷氏は2011年に、高校チーム、大学チーム、プロなどのクラブチームが、プロとアマの垣根を超えて女子硬式野球の日本一を決める「女子野球ジャパンカップ」も実現させた。

「第9回女子野球ジャパンカップ」は、2019年11月に行われた。

さらに角谷氏が、いま女子硬式野球のいっそうの普及に向けて考えているのは、「決勝戦だけでもいいから、女の子にも高校野球の全国大会を甲子園でプレーさせてあげたい」ということだ。

「甲子園といえば、高校球児の夢の代名詞です。そして、例えば高校生を対象にしたイベントやコンテストでも『甲子園』という名前を冠したものが少なくないように、高校生が青春をかけて取り組むものの代名詞にもなっている。それなら、野球を真剣に頑張ってきた女子高校生にも、高校野球の開催中に甲子園でプレーする夢を与えてあげたい。そうすれば、野球を志す女の子の希望にもなると思うんです」

女子プロ野球の創設から10年が経過し、高校、大学などでも女子硬式野球部の設置が拡がった現在。2009年に約600人といわれていた全国の女子野球競技人口は、学童野球の小学生なども加えると2万人を超えるまでに増加した。

野球を愛する女の子に、プレーする場を与えてあげたい――。そんな願いを胸に、角谷氏の挑戦はさらに続いていく。

●参考文献
『甲子園進化論 女子の力で変わる未来の甲子園』太田幸司著
一般社団法人 日本女子プロ野球機構「女子プロ野球10年の軌跡 2009~2019」