開発よりもコピーがお得
日本は製品の生産に必要な核心素材(キーマテリアル)の製造技術を多く持ち、他国に対し、優位に立っています。国家の貧富を決定づけるものとして、技術の革新という要因が考えられます。資源に乏しい日本にとって、成長を維持していくためには、技術革新を不断なく推進する以外に方法がありません。
20世紀半ばに活躍したロシア人の経済学者アレクサンダー・ガーシェンクロンという人物がいます。ガーシェンクロンは「後発国は先発国の開発した新しい技術を導入しながら、工業化を推進するため、後発国の技術進歩は急速であり、経済成長率も先発国を上回る」と主張しました。先発国は長い時間をかけて、技術開発を行い、その進歩も緩慢ですが、後発国はその技術モデルを模倣(コピー)し、一気に追い付くことができるのです。
ガーシェンクロンによると、「コピーによって、追いつく(キャッチアップ理論)」という例が、19世紀のドイツや日本でした。18世紀から100年以上かけて、イギリスの産業革命は粘り強い技術者たちによる開発と改良を経て、成し遂げられました。新興国のドイツや日本は、イギリスが発明した蒸気機関の動力装置や製鉄法を、良く言えば熱心に学び、悪く言えば盗み、模倣したのです。イギリスが100年以上かけて、ようやく開発した技術を、ドイツや日本は僅か20年~30年で、自分のものとしたのです。
この時代、発明などの特許という概念などなく、盗用を防ぐ法的手段がありませんでした。ドイツの技術者はイギリスの技術の盗用に最も熱心で、独自の改良を加え、工場設備を進化させました。
日本において、明治維新の4年後の1872年、イギリス製の蒸気機関車が導入されました。その後、蒸気機関車を国産化するべく、明治政府は資金や人材を集中投下し、技官をイギリスに派遣し、イギリス技術者をヘッドハンティングして、官民上げて、機関車のコピー生産に取り組んだのです。その結果、1890年代には国産機関車を量産できるようになります。日本の成功は、ガーシェンクロンの「キャッチアップ理論」の典型例と言えます。