狭い国土、人口も少なく天然資源にも乏しいアジアの小国は、逆境をバネに、地の利の活用、人材の育成、外国企業の誘致などにより、建国50年にしてアジア有数の富裕国へと飛翔した。
ないもの尽くしの状態からアジア有数の富裕国へ
2015年8月9日、シンガポールは建国50周年を迎え、国中が沸き立った。近代的なビルやホテルが立ち並ぶマリーナ・ベイエリアの特設会場には、白と赤を基調にした国旗の小旗を手にした大勢の人々が集まり、記念式典が盛大に挙行された。
シンガポールは英国植民地時代を経てマレーシア(当時のマラヤ連邦)に合流したものの、政治的な路線の違いもあってマレーシアから半ば追い出される形で独立したのは1965年のこと。
独立発表の記者会見で故リー・クアンユー首相(当時)は、淡路島ほどしかない小さな国土に乏しい天然資源という、ないもの尽くしの状態で困難に直面する国の将来を憂い、涙ながらに「私には苦悶の瞬間だ」と訴えた。それ以後、同首相はことあるごとに「生き残り」を口にして、今年3月に91歳で亡くなるまで、この国の精神的な支柱であり続けた。
そうした憂いが嘘だったかのように、わずか50年でシンガポールは驚異の成長を遂げる。一人当たり国内総生産(GDP)は2007年に日本を追い抜き、IMF統計によれば、2014年は5万6319ドル(約705万円)と、日本の同3万6331ドルを大きく凌駕するまでになった。
このめざましい発展の背景としてまず挙げられるのが、地の利である。東南アジアの中心に位置し、貿易とロジスティクスに極めて有利な場所にある。港湾設備や航空網は世界屈指のレベルにあり、海と空の輸送ルートの充実ぶりには目を見張る。空の玄関であるチャンギ国際空港は乗り継ぎの効率の良さが群を抜いていて、旅客数、路線数は世界トップクラスだ。
約6億人が暮らすASEAN(東南アジア諸国連合)の中心に位置し、中国、インドも含めてアジア全域をカバーしている。さらにアフリカにもアクセスがいい。こうした東南アジアの「ハブ」と呼ぶにふさわしい地の利を活かし、国家政策として外資を積極的に誘致してきた。
官民の人材交流も活発で国全体が一つの会社の様相を
その甲斐あって、シンガポール統計局の資料によれば、同国には2014年現在、約3万7000社の外国企業が進出。このうち日本企業は、シンガポール日本商工会議所加盟社だけでも800社以上あるという。
通産省(現・経済産業省)からJETRO(現・日本貿易振興機構)に出向し、91年から3年間、「財団法人国際情報化協力センター」のシンガポール事務所長を務めた東京工業大学大学院イノベーションマネジメント研究科の田辺孝二教授は「行政組織は柔軟かつ機動的に改変し、時代の動きに対応している」と評価する。
「例えばIT関係では、1990年代までは国家コンピュータ庁(NCB)がIT政策を立案。そのNCBが1991年に『21世紀はシンガポールがアジア最先端のIT国家になる』というビジョンを打ち出しました。その後、情報通信開発庁に改組され、そのビジョンを見事に実現しています。
IT分野は給与水準が高く、NCBは優秀な人材を確保するため、100%出資の子会社を設立し、この子会社で採用した人材を同庁に出向させる形で優秀な人材を集めたのです。人材の流動性も高く、役所から外資系企業に移り、その後、再び役所に戻ってくる例も少なくありません」
さまざまな面でビジネス志向が感じられるシンガポールは「国全体がまるで一つの会社のようなもの」と田辺教授は表現する。
シンガポールは積極的な移民政策でも知られ、今も人口は増加傾向にある。現在およそ550万人の人口のうち、実に40%は外国人で、いわば国際都市を形成している。
もともとシンガポールは、中国系、マレー系、インド系など多様な民族構成の国。言語は英語、中国語、マレー語、タミル語が主に使われていて、これらを組み合わせたバイリンガル、マルチリンガルが非常に多い。
(掲載の写真はすべてNDP EXCO提供)