挙党態勢も大連立も与野党協力による復興実施本部づくりも、すべて不首尾に終わる。大震災から1ヵ月が過ぎた4月半ばから、原発事故に対する菅政権の対応に問題があるという追及が強くなった。

小沢は14日、小沢支持の新人議員の会で、「無責任内閣はさらなる災禍を招きかねない」という見解を配布した。大震災後、菅政権への協力姿勢を示していた小沢が、再び倒閣に舵を切った。

4月の統一地方選で、民主党は惨敗を喫した。5月の連休明けから政治休戦が解除となる。26、27日のドービル・サミット(主要国首脳会議)の後は一触即発の情勢になると見られた。

「6月政局」をにらみ、民主党内の反菅勢力は、野党が出す内閣不信任案を勝負どころと見定めて策を練った。小沢は5月23日、側近の平野に電話を入れた。

「自宅と東京の間の柏市でラーメンを食っていたら、携帯電話が鳴った。『不信任案が可決したら、首相は解散する。止める方法を考えてくれ』と言う。『それは不可能です』と答えた。『ヒントくらい教えろ』と言うから、『技術的に首相の解散を止めることはできないが、憲法の本質論をやればいい』と提案した」

平野が笑いながら打ち明けた。小沢との間で導き出された結論はこうだ。

いま総選挙をやれば、東北の7選挙区で投票ができない。災害復興が目的の総選挙で被災地の代表を選べない選挙は無効、と主張して仮処分を求める訴えが集団で出る。衆議院の構成に欠陥があるとき、司法が従来の「解散は統治行為」という論で判断せずに逃げたら、憲法体制が崩壊する。解散は理屈のうえでは可能でも、最終的に関係者が止めるはず。菅首相が決断しても、解散はできない――。

小沢は最終的に菅が解散に踏み切れないと判断して、不信任案成立で総辞職に追い込むというシナリオを描く。周到に準備して6月2日の勝負に臨んだ。

※すべて雑誌掲載当時

みんなの党代表 渡辺喜美
1952年、栃木県生まれ。早稲田大学政経学部、中央大学法学部卒。96年、衆議院議員。2006年、行政改革・規制改革担当大臣。07年、金融・行政改革担当大臣。09年、自民党を離党し、現職。

国民新党代表 亀井静香
1936年、広島県生まれ。60年、東京大学経済学部卒業。62年、警察庁入庁。79年、衆議院議員。94年、運輸大臣。96年、建設大臣。2005年、国民新党、結党。09年より現職。

(原 貴彦、小原孝博、小倉和徳、岡本 凛=撮影)